院長ご挨拶

石井剛(2023.4-)からのメッセージ

このたび、思いがけず院長をお引き受けすることになりました。もともとわたしは人知れず静かに生きたいと思ってこの道に進んだ人間なので、このようなお役目に与る器では到底ありません。これは職業人生における危機です。

しかし、中国哲学が教えてくれるのは、危機とは人の善なる本性が露呈する瞬間にほかならないということです。いま、地球上には危機の時代を生きていると感じる人がどんどん増えていることかと思います。漢字の世界で「危機」と言うと、「危」は高いところにあってこわがること、「機」とは主体的に判断を下すことです。つまり、「危機」とは単に危うい状態のことだけでなく、そういう状態における判断や決定の必要をも含んだ言葉です。

『孟子』は井戸に落ちそうな子どものすがたを見れば、だれでも「怵惕惻隱之心」を起こすと言います。それは恐れおののいて思わず生じる憐れみの気持ちのことです。この心は名誉のためでも利益のためでもなく、ひとりでに湧き起こって、人に何らかの行為を促します。それは「仁」の発端です。つまり、危険を感じたその瞬間に生じる気持ちには善の種子が宿っているのです。しかし、わたしたちは、その瞬間の気持ちに忠実なままでいることがなかなかできません。俗塵の中で心は失われていってしまうということなのでしょう。

では、図らずも行われる瞬間の善はどうすれば永遠に留めておけるのでしょうか?中国哲学はそのような企てがそもそも不可能であることも教えてくれます。それは『荘子』にある「渾沌」の物語です。わたしたちの世界は混沌の中にあります。混沌が常軌を逸しているのではなく、そもそも世界とは混沌であり、それでもわたしたちは瞬間の中にわたしたちの真善美をとらえようと努めるのです。それが人間の人間たる所以なのでしょう。そして、善の一端をつかみ取り、善を行為することは、まさに危機の瞬間において実現するのだというのが、孟子が人間にかけた希望であるとわたしは考えています。

危機を希望に変えるのではなく、危機こそが希望であること、それがわたしたちが人としてよりよい人となり、よりよい世界を築くための必然であるにちがいありません。ですので、EAAのスタッフの皆さんには新しいことを怖れずにチャレンジしてほしいと思います。その中から初めて善は育っていくことでしょうし、うまく行かないのはむしろ当たり前のことなのです。

EAAは多くの方々のご協力とご支援のもとで成り立っています。これからも皆さまに支えられながら、共にこの瞬間を悦び、そして楽しみたいと願っています。そして、学内外ひいては社会のあらゆる方々と共に、世界をより平和で豊かにするための学問の種子を芽吹かせ、大きなものにしていきたいと希望しています。
何とぞよろしくお願い申し上げます。

中島隆博院長(2020.4-2023.3)からのメッセージ

東京大学東アジア藝文書院の新しい院長として一言申し上げます。

現在、わたしたちは新型コロナウィルスのパンデミックに世界的に直面しています。この数十年のグローバル化によって、世界はより稠密に結びついたため、感染の広がる速度は類を見ないほど速いものとなりました。ちょうど100年前、第一次世界大戦とスペイン風邪が世界を揺るがせました。それは20世紀のグローバル化であり、その後世界は、全体主義と世界的な分断に進んでいきました。今わたしたちは再び同じ課題を問われています。この100年間の歴史とそれに対する学問的な蓄積を踏まえて、よりよい世界を構想することが求められています。それは、「何ができる」か以上に、「何を望むのか」を明らかにしなければなりません。近代の人間中心主義とは異なる仕方で、人間を再び問い直すことが必要でしょう。また、その人間が生きる社会のあり方も考え直さなければなりません。それは資本主義や科学技術そして社会の諸システムの再点検に繋がるはずです。

その際に、20世紀の「近代の超克」とは違う仕方で考えてみたいと思います。西欧近代には光と影があり、その影がどれだけ深いかはよく知られていますが、光の部分はそれとして批判的に評価しなければなりません。つまり、特殊なものに退行するのではなく、ある種の普遍的なものに自らを開き続けることが重要なのです。無論、前提されるような「普遍」があらかじめあるわけではありません。そうではなく、普遍化し続ける努力こそ求められているのです。東アジア藝文書院は、北京大学をパートナーとして、オーストラリア国立大学、ソウル国立大学、ニューヨーク大学、ボン大学と連携する、研究と教育のプラットフォームです。それを支えているのは、多くの方々の「望み」です。とりわけダイキン工業の皆さまには、深く広い「望み」を東アジア藝文書院にかけていただいています。あらためまして御礼申し上げます。

こうした「望み」の上に成り立っている東アジア藝文書院は、国際的な連携のもと、上に掲げた問いを洗練していきたいと思います。それには、若い知性が輝くこと以外に道はありません。皆さんと一緒に、思考し続けていけたらと思っています。

羽田正院長(2019.3-2020.3)からのメッセージ

東京大学東アジア藝文書院院長羽田正東京大学東アジア藝文書院は、東京大学と北京大学の研究者が、人文学の将来を考え、建設的な議論を積み重ねた上でできあがった新しい組織です。その目指すところは、日本語の知と中国語の知、それに西洋諸語の知を接続し、人間とその社会の成り立ちや仕組みを説明しうる新たな知の体系を作り出すことです。「藝文書院」という名前は一見伝統的ですが、ここで試みられるのは、きわめて新しくユニークな学問的実験です。19世紀や20世紀には、西洋諸語の知が普遍だと信じられていました。しかし、この考え方は今日では通用しません。西洋諸語が生み出す知とその体系は、世界に数多くあるローカルな知の一つとみるべきです。同じくローカルな知の一つである日本語には、独自の価値や見方、語彙や文脈があり、それらは日本語を話す人々の集団的な経験や常識と相まって知の体系を形成し、彼らの思考や行動の基盤となっています。それは中国語の場合も同様です。日本語や中国語の知は、西洋諸語による知と同様に、世界における文化の多様性を保障する重要な要素なのです。

東アジア藝文書院では、東京大学と北京大学の学生が、熱意溢れる教員の指導の下で互いに切磋琢磨しながら、日本語と中国語の運用能力を高め、それぞれの言葉による知の体系を習得します。授業で主に用いられるのは、国際語としての地位を確立した英語です。そして、教員と学生が一緒になって、日本語と中国語、それに英語に代表される西洋諸語の知を接続、統合し、新たな世界規模の知の体系を作り出すことに取り組みます。

これは気宇壮大な企てです。航海に例えれば、まだ正確な海図はありません。行く手には大海原と嵐が待ち構え、船はそれほど簡単には目的地に到達できないかもしれません。しかし、このプログラムに参加する両大学の教員は真剣です。ぜひ、私たちの新しい船に乗って、一緒に知の冒険の旅に出発しましょう。志を持つ学生の皆さんの参加を待っています。

なお、ダイキン工業の皆さまのご理解と力強いご支援がなければ、このプログラムは実現しませんでした。ここに特に記して、心からの謝意を表します。