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2025.10.20

【報告】第47回東アジア仏典講読会

2025年9月20日(土)14時より、第47回東アジア仏典講読会がハイブリッド形式にて開催された。今回は土屋太祐氏(新潟大学准教授)と小川隆氏(駒澤大学教授)がそれぞれ発表を行なった。当日は対面で15名、オンラインで延べ20名が参加した。

 

近況報告

発表に先立ち、二件の近況報告が行われた。

第一に、小川氏より、本講読会の中心メンバー数名が『禅文化』(第277号、2025年7月刊)の特集「語録の読みかた 読まれかた」にそれぞれ論文を寄稿し、無事に刊行されたことが紹介された。今回の特集は、独立した論考の寄せ集めではなく、各論文が相互に関連し合いながら禅語録をめぐる一連の小史を構成しており、限られた分量で最新の研究状況を把握できる内容となっている。特集の目次はこちらから確認できる。

第二に、柳幹康氏より、南京での学会に関連して訪問した金陵刻経処の現況について報告がなされた。金陵刻経処は、中国近代仏教学の発展に尽力した居士・楊文会が私財を投じて設立した近代仏典の刊行機関である。柳氏は実際に撮影した映像を交えつつ、文字を反転して書く作業や迅速な刷り作業など、木版印刷における職人技術の精妙さを報告した。文献学的方法論を中心とする仏教学研究にとって、刊行過程を具体的に思い描くための貴重な知見を提供するものであった。

さらに柳氏は、今回の土屋氏の発表対象である『宗門十規論』の著者・法眼文益がかつて住持した南京清涼寺が近年復興されたことを紹介した。中国仏教の近年の発展を実感させる内容であった。

 

第一発表では、土屋氏が法眼文益撰『宗門十規論』の訳注稿を紹介した。土屋氏は中国禅宗の法眼宗研究の第一人者であり、近年『法眼:唐代禅宗の変容と終焉』(臨川書店、2024年)を公刊し、本講読会でも書評会(第40回報告参照)が開催されたことがある。今回は『宗門十規論』序文を中心に検討が進められ、「未経教論、難破識情」の句における「教論」の解釈や、法眼の理・事対比の文章をめぐり、その射程をいかに解すべきかについて熱心な討議が続いた。

第二発表では、小川氏が『宗門武庫』第25段、舜老夫の「無事禅」に関する内容を講読した。「無事禅」とは悟りの体験を追求せず、あるがままに安住する禅を指し、当時は貶義的に用いられた。舜老夫は臨済宗の翠巌可真から批判を受けたが、同門の叔父・石霜法永は、舜老夫の境地を「鋭い悟りの契機を内に含んだ平常無事」として肯定的に評価している。この逸話は、雲門宗から臨済宗へと時代の重心が移行する初期段階を示唆する点で、単なる一事例を超えて禅宗史的意義を有するものである。発表後には、禅宗史の流れに関する議論に加え、「平常無事」を表す定型表現として「足を洗う」という表現が見られる点から、当時の生活習慣にまで議論が及んだ。

 

 

両氏の講読を聴きながら、文献を読む際に新たな発想につながる問題意識を得るためには、多くの読解経験が不可欠であることに改めて気づかされた。正確な言語分析を基盤に文献を読み解き、それにとどまらず深い思想的理解へと結びつけるためには、一次・二次文献を長年にわたり読み続けてきた蓄積が必要であることを、あらためて実感する時間であった。

報告者:宋東奎(EAAリサーチ・アシスタント)