2025年11月29日(土)14時より、第49回東アジア仏典講読会がハイブリッド形式にて開催された。今回はKirill SOLONIN(索羅寧)氏(中国人民大学教授)が「西夏禅漢伝仏教及禅宗文献」と題する発表を行ない、柳幹康氏(東京大学東洋文化研究所准教授)が通訳を担当した。当日の参加者は対面で19名、オンラインで延べ10名であった。

SOLONIN氏は、西夏における漢伝仏教および禅宗文献について発表した。西夏とは、1038年にタングート(Tangut)族が現在の中国西北部に建て、約200年間にわたり繁栄した王朝である。北は遼、南は北宋(北宋が南へ移った後は金)、西はチベットと接し、多様な文化交流が行われていた。独自の文字である西夏文字を創出したことでもよく知られている。

西夏文献は、当時は辺境に位置していた黒水城から発見され、近年では敦煌や山嘴溝からも出土している。しかし、現存する文献は当時あった文献全体の一割程度であろうと推測されている。
出土文献は、西夏語・漢文・チベット語の三種に大別され、とくに西夏文字で書かれた文献は「聖(仏教文献)」と「俗(儒教文献)」に分けられる。仏教文献はさらに、チベット仏典を訳した「蔵伝」、漢訳仏典を訳した「漢伝」、そして両者が融合し西夏地域で編まれた文献の三種に分類される。今回の発表では、とりわけ「漢伝」の西夏仏典が取り上げられた。
西夏の漢伝仏典は、遼・北宋を経て伝来し、北宋が南遷した後には金からも伝えられた。内容的特徴として、特に『華厳経』を重視している点が挙げられる。「華厳宗文献」としては、杜順作と伝える『法界観門』や、清涼澄観の『華厳経随疏演義鈔』の影響が顕著であり、これは遼の仏教の影響を受けたものである。さらに、金と国境を接したのちには、中国南部・杭州の華厳宗の文献、例えば晋水浄源らの著作が西夏語へ翻訳された。西夏文字で書かれた華厳注釈書には雲南の華厳文献と一致する箇所が確認され、当時、中国北部〜西北〜西南を横断する広範な「華厳ネットワーク」が存在していたことを示している。
禅宗文献に関しては、宗密の『禅源諸詮集都序』、『禅門師資承襲図』、さらに『円覚経略疏鈔』などの影響が目立つ。SOLONIN氏は、西夏における「洪州宗」文献を新たに発見し、研究を進めてきた。ここでいう「洪州宗」とは馬祖道一の系譜の禅を指し、西夏の「洪州宗」文献では宗密および澄観の華厳教学を基づいて解釈が行われている点が特徴的である。そこには「句外禅」「随句禅」「大先宝印」という独自の禅の分類が見られる。このほか、『六祖壇経』や南岳慧思・真歇清了の語録なども発見されている。
講演後には、西夏仏教における遼の密教の受容、中国南部の華厳文献が西夏へ伝わる際に高麗の義天が介入した可能性、宗密の位置づけ、さらに金代の曹洞宗文献の再検討など、多岐にわたる活発な質疑応答が行われた。

SOLONIN氏は、世界的にも数少ない西夏仏教研究の第一人者であり、直接講演を聴講できたことは極めて貴重な機会であった。西夏文字や西夏仏教については、その存在こそ知られているものの、専門家も文献も限られているため、容易に踏み込めない未知の領域であった。しかし今回の講演により、想像していた以上に高い解像度で西夏仏教の姿を理解でき、その東アジア仏教全体に占める重要性を認識することができた。3時間半に及ぶ長時間の講演であったにもかかわらず、SOLONIN氏は終始熱意に満ちた姿勢で、膨大で精緻な知識を明晰に語り続け、その学識の厚みに圧倒された。
SOLONIN氏は、澄観『演義鈔』が遼で重視され、それが西夏へ伝わり、西夏語の『演義鈔』注釈が雲南地域の華厳文献と一致する箇所が見られることを紹介し、この広大な交流圏を「華厳ネットワーク(華厳網路、Huayan network)」と名付けた。さらに、現在筆者が研究中の義天の活動まで視野に入れるならば、「中国南部杭州の晋水淨源(1011–1088)」―「高麗の大覚国師義天(1055–1101)」―「日本の高山寺明恵(1173–1232)と東大寺凝然(1240–1321)」―「遼の悟理鮮演(1048–1118)」―「西夏」―「雲南の蒼山普瑞(活動期1318–1320)」へと連なる、まさに「東アジア巨大華厳ネットワーク」と呼ぶべき広大な構造が浮かび上がるであろう。このネットワークの中で、澄観重視や宗密の位置づけ(華厳の祖師としてか、禅宗の祖師としてか)、さらには厳密仏教の展開を再考することは、今後の重要な研究課題となるだろう。唐という中心が解体された後の多極体制のもとで、各地域が活発に交流していた東アジア仏教の実態。その解明は、今後ますます期待される分野である。
報告者:宋東奎(EAAリサーチ・アシスタント)