2025年5月30日(金)、EAA主催の学術フロンティア講義「30年後の世界へ――変わる教養、変える教養」第7回が駒場キャンパス18号館ホールで開催され、宋冰氏(バーグルエン研究所副所長、中国センター主任)が 「Ideas for A Changing World –– Reconceptualizing Myriad Things」と題して講義を行った。
バーグルエン研究所では、東洋哲学を用いて、AIを考えるプロジェクトが進められている。宋氏も今回の講義の中で、中国の伝統思想における「人(Ren)」と「物(Wu)」の関係に着目しながら、AIをいかに捉えるべきか、またAIといかに共生するかについて論じた。
AI技術は近年急速に発展している。これに対しては、「AIは人類にとって脅威である」とする意見も多く見られる。しかし、宋氏は、人間の思考方式を模して作られたAIには、人間の思考そのものが反映されていると主張する。AIは、「人間とは何か」、「この世界はどのようにできているのか」という問いに関する私たちの思考を反映して、造られているのである。このように人間の思考を映し出す鏡としてAIを捉えれば、私たちはAIを通して、私たち自身の人間や世界に対する認識を知ることができる。さらに、既存の見方を認識することによってこそ、新しい人間観や世界観を定義することも可能になるのである。
さらに宋氏は、AIに関する議論と深く関連する、「人」と「物」の関係の捉え方についても切り込んだ。西洋思想においては、「人」を「人以外の物」と区別するのが一般的であり、これは洋の東西を問わず、現代の中心的な思考法でもある。しかし、「人」と「物」の関係については、より多様な見方が可能である。宋氏が提示したもう一つの視点は、東洋思想の中の「物(Wu)」の考え方である。中国の伝統思想において、「人(Ren)」と「物(Wu)」は同一の根源から生成された存在であり、万物は一体で、「人(Ren)」は「物(Wu)」の一つに位置付けられる。この視点に立てば、AIを「物(Wu)」として捉え、人間と同じ根源をもつ存在、さらには人間と対等で、影響を与え合う存在として捉えることも可能になる。「人(Ren)」と「物(Wu)」の関係性の中でAIを捉え直し、AIを人間を投影した存在と見なして付き合うことによって、AIと共生する道が開かれるのである。
中国思想を研究している報告者にとって、「人(Ren)」と「物(Wu)」に関する議論はなじみがあり、AIを「物(Wu)」として捉えるという発想も斬新ながら受け入れやすいものであったが、AIを人と対等な存在として見るということには、どこかまだ違和感を感じる部分があった。その違和感の中身を探っていくと、自分が「人間の最も本質的な条件」を何と考えているのかと深くつながっていることに気付かされた。今日の講義は、規制の是非や活用方法といった論点にとどまりがちな、AIに関する私たちの議論を前進させてくれるようなものであった。
報告・写真:新本果(EAAリサーチ・アシスタント)
リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)The last lecture in this course was about AI and it came to me that meeting and interacting with AI might enable (or I may have to say “force” ) us to make the definition of (or maybe unique features of) human much clear, for comparing superficially resembling things often makes the features of both. So I want to say today’s lecture came perfect timing for me.The question raised in this lecture was whether it is really okay for humans to tend to view only humans as special. Until now, it seemed possible to dismiss the issue with a single word: ‘intelligence.’ However, the emergence of artificial intelligence has pushed us into a situation where such a dismissal is no longer acceptable. I am not sure if this is a way of thinking rooted in Eastern philosophy, but during the lecture, the idea of perceiving the nature of things in a continuous (or dualistic) manner was presented. For me, it is necessary to rethink the world not as a binary entity but as a continuous one.
– 教養学部(前期課程)2年(2)AIの是非なんてものはこのご時世飽きるほど議論されているが、直接講演のような形で話を聞けたのは初めてかもしれない。
今日の話の最後で先生がされていた、intelligenceとwisdomの話がとても興味深かった。確かに、AIには文字通りinteliligenceしかないのかもしれない。
先生は、intelligenceとwisdomの違いについてはあまり詳しく言及しなかったが、自分なりにこのことについて考えてみたとき、wisdomの背景にあるのは、経験や文化といったものではないだろうか。
知恵という言葉でまず思いついたのが「おばあちゃんの知恵袋」や「Yahoo知恵袋」といったものだったのが、やはりこの背景には長く培ってきたものというイメージがあるような気がする。たとえば、窓を掃除するときには濡らした新聞紙がいいよなんてことは「知恵」であって「知性」ではない。たぶん、AIに窓の掃除方法をきいたところで知っているからこの方法を教えてくれるのであって、新しく生み出すことはおそらくできない。
ただ、もちろん情報処理能力や学習能力といった面で、人間にも「知性」は必要である。先生が締めくくったように、両方が大事なのであろう。
– 教養学部(後期課程)3年

