2026年3月14日から16日まで、ニューヨーク大学にて開催された会議“MOTHER TONGUE: THE FEMALE VOICE IN OKINAWAN HISTORIOGRAPHY LITERATURE AND THOUGHT”=「母の言葉―沖縄の歴史記述・文学・思想における女性の声」に参加した。企画してくれたのは、同大学のアンマリア・シマブク=島袋まりあ氏だ。拙著『伊波普猷の政治と哲学——日琉同祖論再読』(法政大学出版局、2022年)を彼女が読んでくれたことがきっかけで、一昨年からオンラインでの交流が始まった。在米沖縄研究の現状を知りたいという私のリクエストに応えて、アメリカを拠点として活動する沖縄系女性研究者を中心として、彼女が声をかけてくれた。それは私が期待していた以上の、本当に素晴らしい集まりで、私がこれから研究者として生きていく中で、あのときのことを思い出すたびに温かい気持ちになるだろう。そんな稀有な拠り所となるような、得難い経験をさせてもらった。
シマブク氏のことはAlegal(フォーダム大学出版局、2018年)の著者として、前から知っていたし、尊敬する学者として是非一度会ってみたいと長年思っていた。”Alegal”とは、法秩序には還元され得ない“はみだし”、とひとまず翻訳できるだろうか。ミシェル・フーコーの「生政治」という概念を手がかりとしながら、戦後のアメリカ統治期及び日米安保体制下にある沖縄の在り方を表した概念だ。ジョルジョ・アガンベンの言う「ホモ・サケル」やフーコーが論じる生政治や統治性といった概念と重なりながらも、これらの概念ではいい表し得ない“はみだし”を、彼女のAlegalという概念は絶妙に捉えている。そんな彼女が、伊波普猷をはじめとする沖縄の思想群を掘り起こしながら、新しい権力理論を構想していると聞いた時、本当にワクワクした。その一環として拙著を手に取ってくれたことが、本当に嬉しかった。

今回の会議は、プレナリーセッション(シマブク氏は、ウチナーグチ=沖縄の言葉で「おしゃべり」を意味する「ゆんたく」を付して「ゆんたくセッション」と名付けた)、ブックトーク、そして最終日のワークショップという、三つの要素によって構成されていた。なんと言っても、「ゆんたくセッション」が本当に大切なひとときだった。皆が何かしらのルーツを沖縄に持っていて、参加者一人ひとりが、自分の由来(その多くは家族の物語から始まるものだった)について丁寧に話してくれた。そして、その場にいる人全員で、静かに耳を傾けた。
白状すると、私は、「沖縄アイデンティティ」というものが苦手で、どちらかと言えば嫌いと言ってもよいほどだ。けれども、皆の話を時間をかけて聞く中で、私の中で何かが変化した。まるで音を立てるように、それは変化を遂げた。私が学んだのは、皆が共有してくれたアイデンティティとは、私が思っていたような頑ななものではない、ということだった。それは、時代の流れ、場所の移り変わりとともに、自由に形を変えていける、しなやかなものでありながら、同時に、その人に力を与えてくれるものだった。
もしかすると、それは「アイデンティティ」と呼ぶよりは、スチュアート・ホールに倣って「アイデンティフィケーション」と呼んだ方がよいものかもしれない。あるいはもっと別の言葉があってもいいのかもしれない。少なくとも、それは決して「誰かを固定の場所に縛り付ける」という、私があらかじめ持っていたイメージからはかけ離れたものだった。とりわけ、アメリカという実に複雑で多様な社会の中でマイノリティという要素を自分の一部として持ちながら生き抜いていくために、彼女たちに力を与えてきたものだったと、知ることができた。これは、日本のように同質性の高い社会で生きていては、実感することのできない感覚だろうと思った(実際には日本の内部にも多くの襞が存在しているのだが)。同時に、「アメリカとは一体いかなる国家ー社会であろうか?」「そこで駆動し続ける資本主義と種々のアイデンティティ・ポリティクスとの関係とは?」といった疑問も浮かんだ。

「ゆんたくセッション」で共有された物語の一つをフォーカスするようにして、ブックトークでは、エリザベス・ミキ・ブリナ氏が、ご著書Speak, Okinawaに基づいて講演してくれた。ブリナ氏の講演に先立って、ブレンダ・ショーネシー氏が、素晴らしい詩を朗読してくれた。彼女たちが話すのを聞いて、私がこれまで触れてきた「沖縄」はほんの一部だったことを知った。そして、アメリカで生きられた「沖縄」——それは私が今まで疎遠なものだった——のことをなんと知らないことだろう、と思った。かつてハワイでそのほんの一端を垣間見せてもらったことはあったが、それはそれきりになってしまっていた。そして、今回シマブク氏が敢えて女性たちを中心に声をかけた意味を、私は皆の話に耳を傾ける中で、初めて理解した。
アメリカで、沖縄というルーツを持って、女性として、生きること。あるいは、沖縄からやってきた母や祖母を家族に持つということ。そうした“属性”がどのように生きられて——あるいは生きることを強いられて——きたのかを理解することが決定的に重要であると、彼女たちの声は教えてくれた。このブログの読者に伝えたい。Speak, Okinawa(クノップ社、2021年:邦訳は『語れ、内なる沖縄よ』みすず書房、2024年)を、是非読んでみてほしい。この一冊は、その一端を見せてくれる。ブリナ氏はとても複雑な事態を、立体的に描き出してみせる。読みやすい平易な文章であるにもかかわらず、読み進めるのが困難な一冊だ。というのもそれは、追体験するという行為を通してでさえ、とても苦しいものだからだ。それでも逞しく生きていくために、私たちには言葉や思想、音楽、絵画、映像——なんでもいいけれど、表現することが必要だ。

最後のワークショップでは、私と、半嶺まどか氏、のぞみ・仲兼久・齊藤氏が発表した。私は自分の発表を、自身がなぜ伊波普猷を読むことになったのかというパーソナル・ヒストリーから始めて、伊波普猷に「沖縄学の父」というオーセンティシティーを期待するのではなく、彼が抱えた困難や失敗を皆で分け持ちながら、混交的な言葉を織り上げていく必要性について論じた。半嶺氏は、ウチナーグチ(沖縄の言葉)やヤイマムニ(八重山の言葉)を聞き取り、話し継いでいく実践とそのための研究について、どこかに“真正の”ウチナーグチやヤエマムニを探し求めてそれを復興・保存するのではなく、とりわけ見過ごされてきた女性たちの言葉——その多くは台所で話されてきたし、話されている——を拾い集め、そこに連なるようにして実践を重ねていくことの重要性を論じた。仲兼久・齊藤氏は、エリコ・イケハラ氏がコザ(嘉手納基地のそばの街で、かつて黒人街だった場所)に開いたMiXtopiaという場所に触れながら、喜舎場順の小説「暗い花」(『琉大文学』第10号掲載、のちに『新日本文学』1956年7月号に転載)に、彼女自身が行った「ユンタクビュー(Yuntakuview)」(「ゆんたく」形式で人々に話を聞き、それを集めていく方法)によって聞き取った話をおり重ねる形で、テクスト読解を行った。
全ての行程を終えて、夕食会では、私たちはゆんたくを続けた。夕食会が終わったあと、やはり沖縄にルーツを持つ比嘉良治氏と、そのパートナーであるマデレーン・ルイス氏が提供してくれたアパートメントに戻って、私たちはさらにゆんたくを続けた。話して、聞いてもらい。話すのを、聞いて。それをひたすら続けた。それは、お互いが抱えたものを一緒に持つこと。豊かな時間だった。研究という営みを大きく踏み越えて、私は、聞くことと話すことの間を往還することによって与えられる力を、実感した。
上ですでに触れた人以外にも、濃密な時間をともにした皆の名前を、ここに記して感謝したい。アレクシス・マクレラン–大城さん、アダム・宮城さん、平安名純代さん, 又吉與儀莉奈さん、玉城愛さん。いっぺーにふぇーでーびたん。
この4月から、私はEAAを退職し、新天地へと向かう。今回のニューヨーク出張は、期せずしてEAAでの仕事納めとなった。最後にこんなにかけがえのない経験をさせてもらえたことを、心からありがたく思う。今回の場を全てオーガナイズしてくださったアンマリア・シマブク氏、現地での惜しみない援助をくださった比嘉良治氏とマデレーン・ルイス氏、それから若手研究者に惜しみない援助と機会の提供をくださったEAAと潮田総合学芸知イニシアティヴ、本当に、ありがとうございました。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)