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2025.05.12

【報告】EAAシンポジウム「社会課題の解決に向けた企業活動・人文学・リベラルアーツの協働」

2025年3月26日(水)、東京大学浅野キャンパス武田先端知ビル武田ホールにて、ダイキン東大ラボ後援EAAシンポジウム「社会課題の解決に向けた企業活動・人文学・リベラルアーツの協働」が開催された。

同シンポジウムは、企業人と本学の主に人文系研究者による講演と対談を通じて、社会課題の解決に向けた企業活動・人文学・リベラルアーツによる協働のこれからについて考えることを意図したものである。テーマ毎に3つのセッションが設定され、企業よりゲスト・スピーカー計8名、並びに司会進行、モデレーター、コメンテーター、総括を含む本学教員計12名にご登壇頂いた。

セッション1「人とシステムと空気感のこれから」では、空気あるいは空気感をキーワードにして、今日大きな変化の只中にある人とあらゆるシステムの関係に焦点が当てられた。登壇者計5名によるご講演とディスカッションは、各々の所属、専門、役割、関心等に根ざした多様なシステムへの視座を浮かび上がらせるものであった。

社会学者の板津木綿子氏(大学院情報学環教授)と建築技術者の稲留康一氏(株式会社奥村組技術本部技術戦略部イノベーション担当部長)には、それぞれ異なる立場から、大学や企業といったシステムとしての組織について日々感じておられることをご共有頂いた。板津氏は、AI関連の産学連携プロジェクトに関わるようになって以来、学問としてのリベラルアーツの自己認識やリベラルアーツと産業界との距離(感)がもたらす恩恵や弊害について考えるようになったという。新事業創出を担当されている稲留氏の体験談もまた、板津氏のそれと似たような問題意識を内包していたように思われる。稲留氏によれば、組織全体として何か新しい試みを進めていく上で、イノベーション拠点のような「場」、「人」、そして社風のような「空気感」の関係が鍵になってくると言う。

吉本尚起氏(株式会社日立製作所研究開発グループ主管研究員/日立東大ラボ・副ラボ長)と多湖真琴氏(株式会社メルカリmercari R4D Director)のご講演は、個人や組織のつながりや広い意味でのインフラをより大きなシステムとして捉えるものであった。概して、両氏のご講演が前提としていた「理想的なシステム」とは、エネルギーや物質の持続可能な(再)利用と循環が適切かつ適正になされている姿であったと言える。吉本氏と多湖氏にご共有頂いたエネルギー協調や価値循環等に係る様々な研究開発の事例は、私たちの生活を織りなすインフラの変容と個人および組織の(とりわけ心的)変容が密接に関係していることを示唆するものであった。

社会生態システムをテーマとする福永真弓氏(大学院新領域創成科学研究科准教授)によるご講演の主たる関心は、それらの捉え方や枠組み等に影響を与える複雑なダイナミズムにあったと言える。今日のグローバル化した資本主義社会において、望ましい環境、未来、社会システムを創造しようとする人間の動機は、異種や異文化等へのポジティブな態度とともに、諸資源を巡る投機、「空気」に踊らされる心、そして何かを破棄するという行為が複雑に絡み合った結果として具現化される。

セッション1において展開された産業界と学術界の対話は、各々のスタンスに違いこそあれど、登壇者5名が共通して気になっていることを些かにでも明るみにしたように思われる。それは、科学技術の操作のみでは扱い得ない倫理性、地域性、人間性といったような人文学やリベラルアーツが深く関わる問題である。この点において、多湖氏にご共有頂いたメルカリと大阪大学によるELSIをテーマにした人社系共同研究の事例は、倫理を巡る同社の高い関心を縮約している。

僭越ながらセッション1のモデレーターを務めさせて頂いたのであるが、社会課題としてのそれらの問題への多様なアプローチが共有されたということ自体に、シンポジウム全体における同セッションの特異な点があったものと感じている。ディスカッションの締めくくりに吉本氏がコメントされたように、広く社会貢献に資する産学連携のあり方を模索していく上で、引き続きこのような異業種・異分野による実践共有の機会が求められていくことであろう。

続くセッション2「ストーリー性へのアプローチ」では、これからのインフラや生産の仕組みに求められる姿を想い描くとともに、それらへの共感の形成において鍵となるストーリー(性)やナラティブのあり方について議論がなされた。

宮沢佳恵氏(大学院農学生命科学研究科准教授)と岸野宏氏(株式会社クボタ研究開発本部産学協創事務所担当部長)によるご発表とご発言の背後には、共通するロジックが横たわっていたように思われる。生態系維持と農業が一体化したパーマカルチャーの事例について調査を進められている宮沢氏は、農法普及においてそれらの手法そのものを語ることよりも、それらの背後にある目に見えない理念や哲学を伝えることの重要性を指摘された。水処理事業の入札制度改革についてご発表頂いた岸野氏もまた、費用対効果を巡る合意形成において、可視化しやすい費用の部分もさることながら、人によって重みづけの異なる効果、すなわち目に見えない価値の部分を巡る発信が鍵になっている状況を説明された。

ご講演の中で山田健氏(サントリーホールディングス株式会社サステナビリティ経営推進本部シニアアドバイザー)と野村幸雄氏(渋谷スクランブルスクエア株式会社営業一部部長)にご共有頂いた各社の取り組みもまた、業界こそ異なるものの、共通する方向性を有しているように見える。山田氏曰く、同氏が構想段階から手がけられている「サントリー天然水の森」プロジェクトとは、地元の方々のみならず、野鳥や土壌生物などといった異種とともに進める森づくりに他ならない。野村氏の目は、歴史的に様々な人々を集め、予期せぬかたちで大衆文化を生み出してきた渋谷のカオスな人文地理的様態それ自体が、今日スタートアップ企業等がひしめき合う渋谷という街の創造的基盤として映っているのである。

言うなれば、宮沢氏、岸野氏、山田氏、野村氏にとって、ストーリーを描くということは、必ずしも他者の行為や活動内容そのものを規定することではない。むしろそれは、望ましいと思われる状態や条件を緩やかに生み出し、維持していくために必要な枠組みや視点等をある種体系化し、パフォーマティブに提示していくことを意味しているように思われる。

この点において、メンテナンスの思想を提唱された星野太氏(大学院総合文化研究科准教授/EAA)のご講演は、セッション2から導かれ得る論点を先取りした内容であったと言える。同氏のご発表は、創造性や技術革新といった近代的パラダイム、あるいは自己完結的な計画主義の背後に認識上退いてしまった人間(並びに異種)による日常的実践こそが、人々にとってより身近なストーリーやナラティブの源泉になり得ることを示唆していた。

セッション3「共感と共創のための学び合い」では、産学連携における人文学やリベラルアーツの位置付け、並びに問いの発掘からはじまる産学「共創」のあり方について議論が行われた。講演者計4名に加え、同セッションのディスカッションにはコメンテーターとして本学産学連携担当理事の津田敦氏にもご登壇頂いた。

EAAの活動等に係る石井剛院長のご発表を除くと、他3名のご講演はいずれも企業側における人文学やリベラルアーツへの期待に係る話題が中心であったように思われる。ダイキン東大ラボのラボ長である香川謙吉氏(ダイキン工業株式会社常務執行役員)は、本学と進める組織的連携の醍醐味の1つとして、人文系教員との交流を通じて所与の指標や価値基準等にとらわれない発想、コンセプト、言葉等が得られている点を挙げられた。

ダイキン工業の皆さまにオンラインにてお届けしているEAAオムニバス講義『30年後の世界へ』はお陰さまで同社内にて好評を頂いているが、戸矢理衣奈氏(生産技術研究所准教授)によれば、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)においても人文系教員の講義は高い人気を誇っているという。戸矢氏は、同プログラムにおいて、多様な思考方法の源泉たる人文学を学ぶことが課題設定能力の養成に資する手段として認識されていると指摘された。

人文学やリベラルアーツには、人々を根源的な問いの世界へと巻き込んでいく力がある。企業をはじめとする組織変革や共創的な事業創出等を専門とする兎洞武揚氏(株式会社博報堂生活者発想技術研究所主席研究員(当時))によれば、あらゆる共創的事業は関係するマルチステークホルダーがニッチな問いを発掘し、共有するところからはじまる。そして、兎洞氏は、ご自身の業務経験を踏まえ、何をするのか、あるいはどのようにやるのか(doing)という問いよりも、むしろ自分たち自身がどうありたいか(being)という問いから出発した共創の方が目標を達成できているというお話しをされた。

大学人の目線からすると、以上3つのセッションは、どちらかと言えば、企業側における人文学やリベラルアーツへの期待やニーズ等を断片的に浮かび上がらせるものであった。然らば、社会課題の解決に向けた人文系の産学連携において、人文学、リベラルアーツ、ひいては大学はいかにあるべきなのか?現段階においてこの問いに明確な答えを出すことは必ずしも容易ではないにせよ、同シンポジウムで展開された様々な議論のうち、関連すると思われる論点を3つほど整理しておきたい。

1つ目は、諸現象への人文系研究者の学術的態度に係る議論と関係している。同シンポジウムにご参加頂いた方々であれば、セッション1における福永氏のご発言がシンポジウム全体におけるキーワードの1つを提供したという見解にご賛同頂けるであろう。福永氏曰く、人文系研究はポジティブでワクワクした事柄を考察することよりも、「ほの暗いところ」の「端をめくりにいく」ことと相性がよい。人文系研究者は思わずそうしてみたくなる性向を持っているのだと言う。続くセッション2のディスカッションでは、そのような福永氏の意見に同意しながら、モデレーター役の川喜田敦子氏(大学院総合文化研究科教授/副研究科長)がストーリーやナラティブに内在する排他性といったクリティカルな問いを投げかけられた。星野氏もまた、「茶々を入れる」ことのポジティブな側面について言及された。

開会挨拶の中で石井院長が企業人と人文系研究者の対話にワクワク感を求められたことは否定されるべきではない。問題や課題を直視し過ぎてしまうと、誰かと誰か(あるいは何かと何か)の違いが際立ってしまい、かえって分断を助長してしまう。

他方、産業界と学術界が期待感のみに踊らされない冷静さの中で共に社会的ニーズに応えていくためにも、ほの暗いところに目を向けたり、茶々を入れたりする人文系研究者の視点が案外重宝されていると理解してよいのかもしれない。実際、企業人である兎洞氏より、そのための上手いやり方を模索することが肝心なのではないかとの指摘がなされた。

人文系の産学連携の方向性に係る論点の2つ目は、中島隆博氏(東洋文化研究所教授/所長)による全体総括を兼ねた閉会挨拶の中に縮約されていたように思われる。中島氏が言及されたように、同シンポジウムにてご講演頂いた計14名の企業人と研究者は、業種や分野こそ異なるものの、現状の維持や拡張には限界があるという認識を持っている点において共通している。中島氏は、とりわけ企業人が実務上感取している価値を巡る問題意識の根源性に触れながら、それらの言説化を可能にするものとしての人文学やリベラルアーツが果たし得る役割を示唆された。そのような作業こそが、非西洋における「在地の知」の編纂を導き、究極的に普遍(性)への到達を可能する。中島氏は、同シンポジウムがその新しい地平を一瞬でも拓いたのではないかと評された。

最後に、人文学やリベラルアーツが産学連携に関わっていく際に克服しなければならない葛藤についてもしっかり言及しておかなければならない。私にとって、石井院長が引き合いに出された科学史家山田慶児による『荘子』のカオスを巡る物語の解釈(三極構造モデル)は興味を引くものであった。それによれば、往々にしてカオスな状態からはじまるあらゆる社会は、放っておくと秩序化の過程を経て二極分化し、やがて対立構造に陥ってしまう。石井院長は、このプロセスをソクラテスの死になぞらえる。アブのような存在として煙たがられたソクラテスが死に追いやられると、アテネは衰退の道を辿ることになる。その悲劇を避けるべく、プラトンはアカデメイア(アカデミア)、すなわちあえてカオスな領域(第三極)としての大学を創設した。

人文学とリベラルアーツ、ひいては大学の存在意義にすら関わる批判精神の担保は、社会から距離を取ったり、社会から隔離されたりすることのみをその唯一の方法とはしないはずだ。モデレーター役の伊達聖伸氏(大学院総合文化研究科教授/EAA)によって深められたセッション3のディスカッションには、これからの人文系の産学連携を巡る些かのヒントが含まれていたように思われる。大学が中立的であるということは、あくまで特定の価値に加担しないということを意味する。そして、大学が様々な力の均衡点として存在しているがゆえに、そこには価値すら定まっていないようなモノやコトがうごめくカオスな状態を維持する磁力が生まれる。

であるとするならば、逆説的に、より多くの企業、公共セクター、NPO、ひいては人々との関わり合いこそが、人文学やリベラルアーツに自らをより中立的であらしめようと積極的に意識させるではないだろうか。もしそれが現代におけるカオスの興盛を可能にするならば、それは究極的に社会課題の解決に資する根源的な問いのマルチステークホルダーによる共創を導くのではないだろうか。

私のような大学人はついこのような観念的な話ばかりをしてしまいがちなので、今度は社会課題の解決に向けた企業活動・人文学・リベラルアーツによる協働の具体的な方策について考えてみたいと思う。

 

同シンポジウムが数多くの協力者無くして実現し得なかったことは言うまでもない。まず、EAA空気の価値化ユニットの同僚である汪牧耘氏(EAA特任助教)、並びに完璧な会場運営をして頂いたEAAスタッフとRAの皆さまに心より感謝申し上げたい。山野泰子氏(未来ビジョン研究センター講師)による素晴らしい司会進行は、ほとんど手作りのシンポジウムに気品と格式と矜持を与えてくれた。同シンポジウムの準備段階では、EAA関係者のみならず、産学協創部協創課、ダイキン産学協創推進室、駒場キャンパス18号館共通技術室の皆さまよりご協力頂いた。殊に関太平氏(産学協創部協創課特任専門員)と栃元友一氏(ディベロップメントオフィス法人ユニットシニア・ディレクター)には登壇者選定の段階から深く関わって頂き、武田ホール担当の太田悦子氏(工学系・情報理工学系等事務部総務課共同利用チーム)には舞台上のレイアウトに至るまで詳細なご助言を頂いた。皆さまのご協力・ご尽力に厚く御礼申し上げる。

報告:野澤俊太郎(EAA特任准教授)
写真:立石はな(EAA特任研究員)