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2025.11.14

【報告】【EAA DIALOGUE】現代中国哲学の行方——陳嘉映先生に聞く

2025年11月13日、「現代中国思想対話会」が東京大学駒場キャンパス101号館セミナー室にて開催された。本企画では、首都師範大学燕京人文講席教授の陳嘉映氏を招き、東京大学大学院総合文化研究科の王欽氏が聞き手を務め、陳氏の思想形成と現代哲学をめぐる課題について幅広い対話が行われた。使用言語は中国語であり、会場には多くの学生・研究者が参加した。

冒頭、陳嘉映氏は自身の学問的歩みに触れた。制度的訓練からではなく、社会・政治・人生に関わる「大きな問い」への関心から哲学へ入った経緯を述べ、長年にわたり「必然性と自由」の緊張が思索の中心にあったと語った。このテーマは政治哲学・倫理・言語哲学を一貫してつなぐ基底であり、陳氏の著作の随所に現れている。哲学は現実経験に根ざすべきであり、過度に技術化された議論は問題の核心を見えにくくすると指摘した。

つづいて、言語と表現の問題に議論が移った。陳氏は、現代中国語で哲学を書くことは能力上の理由だけでなく、「問いが発生する言語」への忠実さに関わると述べた。哲学的な問題は日常経験の衝撃から生じるのであり、専門用語の体系的展開から出てくるとは限らない。異なる言語間は完全に対応しないものの、説明・明確化を通じて理解は生活形式の共有の中で成立しうると強調した。

その後、公共圏の過激化や「説得し合う空間の縮小」が取り上げられた。陳氏は、メディア環境の変化により人間関係が断片化し、集団間のつながりが弱まることで言語が分裂しやすくなっていると述べた。これは道徳的退行ではなく、社会構造の変容による必然的現象であると位置づけた。

自身の著作について問われると、陳氏は「書き終えた後に常に書き直したくなる」と語り、短文形式の「救黒熊重要嗎」のような作品の方が推敲を重ねやすく満足度が高いと述べた。一方で、『何為良好生活』のような大部の著作は重要な問いに応答するものであるが、執筆の困難さから「書き足りなさ」が残るという。

質疑応答では、主体性と時代構造、フランス思想の受容、言語の不可通約性、若者文化における「隠語」、そして現代中国哲学の可能性などが議論された。 陳氏は、主体性は制約の中で誠実に思考を続ける姿勢に宿ると述べ、言語の分裂は社会変容の反映であり、哲学の任務は断片化した言語環境の中で最小限のコミュニケーション可能性を確保することにあるとした。

約2時間にわたる対話は終始活発で、陳嘉映氏の率直かつ洞察に富む発言は参加者に多くの示唆を与えた。

報告&写真:張子一(東京大学総合文化研究科博士課程学生)