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2023.11.01

【報告】EAA Workshop「IFDTについて」(マーク・ロションツ氏講演会)

2023年10月23日(月)17時より101号館2階研修室にてEAA Workshop「IFDTについて」が開かれた。これは先の現象学に関する発表を行ったマーク・ロションツ氏が所属するベオグラード大学哲学社会理論研究所(Institute for Philosophy and Social Theory,  略称IFDT)の歴史と現在について話してもらうことを主旨とするものである。わたしたち東アジア藝文書院(EAA)は2019年3月の成立以来、東アジアからの新しいリベラルアーツの構築を理念とし、北京大学と東京大学のジョイントプログラムを主軸として、研究と教育の双方を実践している。たとえば世界哲学ユニット、世界哲学ユニットといったユニットそれぞれに各学部に所属する東京大学の専任教員と特任研究職が配属されるいっぽう、英語・日本語・中国語のトリリンガルプログラムにもとづく学部生教育もおこなっている。書院に着目しての少人数の教養教育の模索は常にEAAの課題であり、教育が要になっているのが特徴である。そうしたなか、IFDTは、大学内にある人文科学系の研究所であり、いくつかの部門に分かれて積極的に国際交流やイベントを行っているいっぽうで、所属する研究者は原則研究に専念しており、大学での授業を中心とする教育は行なっていないという大きな違いがある。1992年に公式に設立して以来、30年以上の歴史を誇るIFDTから、EAAは新しい視点を学べるのではないかと考え、依頼し、実現した企画である。

以上を聞き手の髙山が問いかけたあと、ロションツ氏は、重要な側面として、第一にIFDTが社会主義にもとづくユーゴスラヴィアの歴史に負っており、第二にマルクス主義と強く結ばれている二点をあげた。ユーゴスラヴィアは、ほかの西欧だけでなく東欧とも異なり、第二次世界大戦後、ソ連軍ではなく、ユーゴスラヴィアのパルチザンによって解放された背景があり、ソ連との対立後、ティトーが展開した自主管理社会主義(socialism of self-management)に依っている。スターリン主義でもないが、資本主義でもない独自の地政学的な特徴である。そしてベオグラードがマルクス主義の一大拠点である以上、哲学が大切であり、それがIFDTの名称中の哲学(philosophy)の語に反映されている。1960年以降、初期マルクスの著作を重視し言論の自由を求めるプラクシス学派がはじまり、彼らは1964年から1974年に雑誌『Praxis』を刊行するが、1968年にベオグラードで起こった学生運動に参加していたプラクシス学派のベオグラード大学の哲学教員に過失があるとされ、1975年に8名に停職処分が下された。これに対して国内外から反発があり、上述の哲学教員たちは1981年に大学に再雇用されたが、学生を受け持つことがなかった。彼らの活動が哲学社会理論センター(Center for Philosophy and Social Theory)となり、1992年にセンターから研究所に呼称が変わったのが、IFDTのはじまりということであった。現在は約100人が働いているが、研究職しかなく、哲学、歴史学、人類学、言語学等、分野横断型の人文社会学研究所となっている。特徴としては、Philosophy and Society(英語)、Khōrein: Journal for Architecture and Philosophy(英語)、Kritika: časopis za filozofiju i teoriju društva(セルビア語)という3つのIFDT独自のジャーナルを発行しており国際発信をしていることが挙げられる。研究グループとしては教育理論、デジタル社会、ジェンダー研究、ホロコースト研究、博愛・連帯・ケア、積極的シティズンシップ、社会批評、空間をめぐる理論・創造・政治、社会主義とポストユーゴスラヴィア研究の9つのラボラトリーがあり、来学期までには哲学研究のための新しいラボを作る予定であるという。

ロションツ氏がIFDTに所属しはじめた2011年から現在に至るまでの規模の具体的な組織の変遷・拡大についての詳細を髙山が聞いたあと、EAAの張政遠氏(総合文化研究科)から問いかけがあり、英語で査読付の国際雑誌を発行する実際や、大学で自由に哲学をすることがどのように可能なのか、セルビア哲学と呼べるものはあるのか、セルビアに独自の用語はあるのか、マルクスのイデオロギーと科学技術の位置付け、現在において哲学をプラクティスするとは具体的にどのようなものかなど、意見交換がなされた。IFDTには約15名哲学研究者がいるが、ストア派からヘーゲル、フッサールに至るまで全員異なる領域であること、ハンガリー語を母語とするロションツ氏が子ども向けの哲学教育を翻訳もとおして行っている点など、複数国家の教育制度を比較する形で応答がなされ、ときには漢字も用いながら日本哲学、中国哲学の概念が確認された。興味深かったのは、IFDTの所属研究者は大学での教育は原則行わないものの、一般に公開されるイベントには学生が参加しており、それが教育になっているという点である。また、英語ジャーナルだけでなく、セルビア語のジャーナルも発行しているということであり、発信された研究成果の読者層が国内外に広く想定されていることである。最後、文学がどのように考えられているのかということと、大学なしで哲学することは可能なのか、という答えのない問いをわたしは出したが、時間がいくらあっても足りないくらい有意義な時間となった。わたしたちの問いかけに惜しみなく答えてくれたロションツ氏に感謝したい。

報告:髙山花子(EAA特任助教)
写真:ヴィクトリヤ・ニコロヴァ(EAAリサーチ・アシスタント)