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2025.05.03

【報告】第4回「小国」論セミナー:大江健三郎文学における抵抗的共同体――『同時代ゲーム』を中心に

 202551日(木)、村上克尚氏(総合文化研究科)をお招きして、大江健三郎の小説『同時代ゲーム』(1979年)を主題とするセミナーを開催した。『同時代ゲーム』は、大江文学のなかでも特に重要かつ挑戦的な作品であり、ある意味で最も明示的に「小国論」と接続する可能性をはらんでいる。同時に、物語構造や語りの多層性ゆえに読解が困難な作品でもある。村上氏は、大江が1950年代から1990年代にかけて模索し続けた「オルタナティヴな共同体」像の系譜のなかで本作が占める位置をあらためて確認しつつ、小国という観点から読み直す可能性を提示した。

 まず村上氏は、大江自身がこの小説について、自分の追求する共同体のアイデンティティと天皇文化は合致しないという趣旨の発言を早い段階でしていたことが、この難解な作品の読み方を長く規定していたのではないかと指摘した。そして、村という周縁から天皇制国家の中心を撃つという図式には収まり切らないものがあり、それが語りの形式や語り手である「僕」のアンビヴァレントな姿勢につながっているのではないかと問題提起した。

 次に、沖縄問題との関係が検討された。『沖縄ノート』(1970年)に登場する詩人・新川明は、反復帰・反国家論の観点から沖縄の「異族」性を強調した。これは、『同時代ゲーム』のなかで語り手が、《村=国家=小宇宙》の人間は大日本帝国に対して「異族」であると述べていることに対応する。しかし村上氏は、新川の「大江健三郎への手紙」を取りあげて、大江の沖縄に対する「好意」や「熱意」が、新川にとっては「痛苦」や「苛立ち」を呼び起こすものでもあったことを指摘し、両者の差異や緊張を浮かびあがらせた。そのうえで、大江もまた、天皇制国家に対抗する共同体がその似姿に変貌してしまう危険性に対して鋭敏な意識を持っていたと論じた。

 続いて、山口昌男の「中心と周縁」理論との関係が取りあげられた。周縁と中心は二項対立的にとらえられがちだが、山口が指摘するように、周縁は中心にしばしば巧妙に取り込まれ、かえってその活性化に寄与してしまうことがある。大江もまた、抵抗がかえって体制の強化につながってしまう可能性を警戒していたが、それと同時に民主主義の理念を信じる態度も保持していた。このようなアンビバレントな感覚に貫かれながら、書く人としての「僕」または大江自身は神話を批判的に書き直すことのできる位置におり、そのことに賭けていたとも言える。そうしたことがこの作品の語りを複雑化しているのではないかと村上氏は述べた。

 さらに、村上氏はテクストに改めて密着する形でジェンダー構造やイメージをめぐる論点にも言及した。たとえば、歴史を書く男性とそれを励ます女性という役割分担は、今日の観点から見ると問題含みだが、語り手である「僕」自身は男性性へのコンプレックスを抱き、壊す人に食べられることを望む場面では自分を女性化するなど、単純な男性中心主義とは言えないところがある。そして村上氏は、壊す人は実体ではなく、中心に抗する周縁の記憶の断片の集積としてあると考えたらどうかと問題提起し、関係の編み直しが既存の共同体とは異なる共同性への希望につながっているのではないかと展望を示した。

 村上氏の発表は、複雑な論点を丁寧に解きほぐしながら、聴衆を深く遠いところまで連れて行ってくれるような中身の濃いものだった。会場からは、大江文学には沖縄問題だけでなく北方先住民問題があったのではないかということ、メキシコからの手紙であることの意味、のちの短編作品における共同性との関係、さらには三島由紀夫、吉本隆明、村上春樹らとの関係など、活発な質問とコメントが寄せられた。若い学生の参加も多く、充実した有意義な会になった。

文責:伊達聖伸
写真:三野綾子