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2021.05.26

【報告】第1回 EAA沖縄研究会

2021521日、第1回となるEAA沖縄研究会がオンラインで開催された。EAA沖縄研究会は、張政遠氏(総合文化研究科)と報告者(崎濱紗奈:EAA特任研究員)が協働して今年度新たに立ち上げた研究会である。初開催という不安もあったが、幸いにも当日は学内外から9名の参加者が集い、活発な議論が展開された。

本研究会は、「沖縄」をめぐる事象・表象について学際的な研究を行い、自由闊達に議論する場を創造することを目指している。しかし、これは「沖縄」についてのみ思考することを意味しない。「沖縄」を出発点としつつ、この場所を通して見えてくる普遍的な問題系について、哲学・歴史学・文学・社会学といった様々な方法論を駆使しながら、多方面から光を当てて皆で議論することが、研究会設立の目的である。

こうした姿勢のもと、本研究会では、今年度検討するテーマとして、次の2つを設定した。1つは「沖縄から/への移民」であり、いま1つは「琉球・沖縄の歴史と民俗」である。前者のテーマについては、張氏が以前より交流を進めてきたメキシコ自治大学の研究チームとの交流を想定している。後者については、一般社団法人琉球歴史文化継承振興会とのコラボレーションを企画している。

研究会の活動方針について、張政遠氏から、メキシコ自治大学との研究交流が示唆された

1回研究会では、「沖縄から/への移民」というテーマのもと、上野英信『眉屋私記』(潮出版社、1984年:海鳥社、2014年)の第2章・第4章について、崎濱が発表を担当した。このテクストを選んだ理由は2つある。1つは、この作品が、「眉屋」という屋号を持つ山入端一家の兄妹の足跡を克明に描くことによって、近代沖縄という構造そのものを見事に把捉しているからである。もう1つは、著者の上野英信(19231987)への着目である。上野は、谷川雁とともに石牟礼道子を輩出した雑誌『サークル村』を創刊した。EAAで昨年度より継続して開催されている「石牟礼道子を読む会」との連携を図ることができれば、との目論見もある。

発表では、まず、上野英信にとって「書く」という行為がどのような意味を持っていたかという問いに焦点を当てつつ、彼にとって『サークル村』という場が非常に重要な意味を持っていたことを確認した。1958年に創刊された『サークル村』は、上野のほかに谷川雁・森崎和江・石牟礼道子といった優れた著述家を輩出したが、彼女・彼らをこの雑誌の代表者と見るべきではない。なぜなら『サークル村』は、炭坑労働者をはじめ、社会から周縁化されたところで生きる人々の集う場であり、こうした人々の間で交わされる議論・言葉こそが、『サークル村』を形成していたからである。

上野英信『眉屋私記』。発表者スライドより。

そこで中心的な問いとなったのが、「他者」についてどのように記述するか、という問いであった(竹沢尚一郎(2018)「人類学を開く——『文化を書く』から「サークル村」へ」『文化人類学』第83巻第2号)。「他者」について「私」が書く、という関係性は、「他者」を代理/表象(representation)するという暴力を少なからず孕む。こうした暴力を引き受けつつ、しかし「他者」の声を「他者」自身が語ることが可能となるように書く、ということはいかにして可能か。こうした問題意識から、例えば森崎和江が実践したような「聞き書き」という方法が生まれた。上野もまた、このような徹底した意識を持って「沖縄」という場所へと向かったのである。

『眉屋私記』は、上野最晩年の作品である。執筆のきっかけとなったのは、琉球新報社記者の三木健によって手渡された『わが移民記』(志良堂清英編、1960年)であった。この本が下敷きにしていたテクスト「在外五十有余年ノ後ヲ顧リミテ」の著者こそ、『眉屋私記』の主人公の一人である山入端萬栄である。萬栄は1907年、東洋移民会社の仲介によってメキシコへと渡った。貧困に喘ぐ家族のため、故郷に錦を飾らんとする萬栄を待ち受けていたのは、過酷な炭坑労働であった。萬栄はその後、メキシコを脱出しキューバへと流れ着き、そこでドイツ領事館のドライバーとなり、同じ職場で働くドイツ人女性と結ばれ一人娘に恵まれた。しかし、日本の敗戦によって虜囚となった萬栄は、家族と離れ離れになってしまい、独りキューバで永眠した。 

萬栄の物語を見るだけでも十分ドラマチックであるが、上野は萬栄の足跡だけでなく、萬栄と同時期にメキシコへ渡った沖縄出身者たちへの聞き取りを行っている。さらには仲介業者であった東洋移民会社の来歴、萬栄がメキシコへ渡る際に乗った船を造った川崎船舶部(後の川崎汽船)の背景まで、あらゆる資料を渉猟しながら明らかにしていく。その手つきは、「沖縄」に徹底的に向き合うという、上野の鬼気迫る思いに裏打ちされている、「沖縄」を自身とは異なる「他者」として理解しつつも、その「他者」に対して恐る恐る腫れ物を触るように近づくのではなく、徹底した事実の記述の積み重ねによってその核心に迫ろうとする上野の筆致は、それを読む者をも「沖縄」の只中に放り込む力を持つ。

筑豊炭坑で炭坑労働に従事した上野が見ようとしたのは、日本という国の近代、日本という国の資本主義が、「地獄」とも言うべき「下層」の世界と、そこで生きる人々の上に成り立っているという構造である。「地獄」の一例である「沖縄」は、「琉球処分」によって大日本帝国に併合されたのち、「旧慣温存」と呼ばれる政策と、その後に続く「土地整理事業」によって、資本主義に畸形的に併呑された。そのような畸形的包摂を、権力を持つ側(国家や資本家)と、翻弄される側(労働者)の両側面から描き出しているのが、『眉屋私記』である。もちろん、資本主義の蠢きは、権力を持つ者と持たざる者という単純な二分法では捉えられないし、『眉屋私記』も無論、そのような二分法を前提とはしていない。いわば、資本主義という巨大な構造物を炙り出す試みが、ここでは実践されていると言えよう。 

ディスカッションでは、植民地台湾と沖縄の間に横たわるヒエラルキーの再検討や、移民として渡った人々にとっての「故郷」の意味、また、日本語ではなく移民先の言語(スペイン語やポルトガル語)で書かれた手記や文学作品を併せて読むことで見えてくる可能性、「移民」という形以外での日本とメキシコとの繋がりを確認する重要性、上野英信にとって筑豊と沖縄がどのように連関していたのか等々、様々な意見・問いが提起された。研究者のみならず、学外からも参加してくださった方々のおかげで、議論が多方面にわたって展開され、非常に充実した時間となった。参加されたすべての方々に御礼申し上げたい。

2回も引き続き「沖縄から/への移民」をテーマとして、『超えていく人——南米、日系の若者たちをたずねて』(亜紀書房、2021年)の著者である神里雄大氏をお招きして合評会を行う。次回も活発な議論が展開されることを期待したい。

※第2回研究会は公開での開催となります。ご参加ご希望の方は以下のリンクより、登録方法等、詳細をご覧ください。

第2回 沖縄研究会 神里雄大 『越えていく人ー南米、日系の若者たちを たずねて』合評会

報告者:崎濱紗奈(EAA特任研究員)