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2022.03.03

【報告】EAA沖縄研究会シンポジウム 「琉球」再考

202226日、EAA沖縄研究会シンポジウム「「琉球」再考」が開催された。本研究会は20214月に発足し、張政遠氏(総合文化研究科)と報告者(崎濱紗奈:EAA特任研究員)を中心に月1回のペースで活動を行なってきた。この度のシンポジウムは、1年間の活動の集大成として企画されたものである。

シンポジウムは2部構成で、第1部では2つの基調講演、第2部では4つの研究発表が行われた。第1部では大変幸いなことに、尚衛氏(尚本家第23代当主、一般社団法人琉球歴史文化継承振興会代表理事)と尚満喜氏(臨時聞得大君、一般社団法人琉球歴史文化継承振興会代表副理事)にご登壇頂くことが実現した。尚衛氏には「尚本家玉陵清明祭について」というタイトルで、首里の玉陵での御清明祭が復興されるに至る経緯や、実際に執り行われた御晴明祭の様子を仔細にお話頂いた。尚満喜氏には「沖縄神社について」というタイトルでご講演頂いた。戦前、官幣小社であった波上宮にて神職を務め、また、首里城を本殿として建立された沖縄神社の設立に関わった杉谷房雄宮司が遺した手記(二見興玉神社所蔵)を繙きつつ、臨時聞得大君というご自身の立場から、現代における琉球の祭祀のあり方について常に問い返す必要性に触れた。

2部の研究発表では、多岐にわたる問いが提示された。「伊波普猷の王権論——1920年代の著作を中心に」(崎濱紗奈)、「トランスユーラシアの言語拡散と東北アジアの農耕民移住——「三角測量」の死角を南島の視点から考える」(張政遠氏)、「テクストと無文字の民俗——台湾における樹木信仰の事例から」(前野清太朗氏、EAA特任助教)、「歌謡以前に向かって——知里真志保からみるアイヌの〈うた〉」(髙山花子、EAA特任助教)という4つの発表は、必ずしも全てが「琉球」あるいは「沖縄」を対象とした研究発表ではなかった。しかし、石井剛氏(EAA副院長)が閉会の辞で指摘したように、第2部で扱われたテーマ——琉球/沖縄、台湾、アイヌ——は、奇しくも帝国日本において「周縁」「辺境」「植民地」として位置づけられてきた場所に関わるものであった。また、それぞれが接近を試みたトピック——王権と「政治」の起源、稲の移動と「民族」、信仰におけるエクリチュールの特権性、〈うた〉以前の〈うた〉を聞き取ろうとすること——は、聞き漏らされてきたざわめきあるいは雑音めいたものを、敢えてもう一度拾い上げようとするものであった。

上段左から報告者(崎濱紗奈)、張政遠氏 下段左から前野清太朗氏、髙山花子氏

開会の辞で中島隆博氏(EAA院長)が強調したように、東アジア藝文書院は「東アジアから新しいリベラルアーツを創造・発信する」ことを目標に掲げている。言い換えればこれは、「東アジア」という概念について、固定的・本質的なものではなく、普遍的(文字通り、至る所に遍在し得る)問題系を思考するための地場として捉え直す試みである。EAA沖縄研究会もまた、「沖縄」という概念あるいは場所を、特定かつ個別的なものとして理解するのではなく、次のような問いを重要視してきた。「沖縄」という地場/磁場を出発点としたとき、どのような普遍的な問いが見えてくるだろうか。その問いを思考するために、どのような知的実践が必要となるだろうか。

移り変わる時代の中で、「沖縄」あるいは「琉球」という名の下に、その「固有性」はときに貶められ、ときに称賛されてきた。しかし、そのような枠組みのもとに回収しきれないはみ出しにこそ、「沖縄」をめぐる問題群は存在しているのである。また、そうしたはみ出しこそが、沖縄を普遍的思考(ここではこの行為について、絶対的権威を付与された正統なものとしてではなく、この世界に遍在する問いをめぐるきわめて実践的な思考として捉えたい)へと接続し得る鍵を握っている。本シンポジウムの構成は一見、まとまりを欠いており、一貫性がないようにも思えるかもしれない。しかし本研究会(少なくとも私自身)は、そうしたある種の奇妙さ、すわりの悪さが必要であると考えた。なぜなら、それによって、「沖縄」あるいは「琉球」をパッケージ化しようとする輪郭線に傷が刻み込まれ、その枠の中に押し込まれたものがドロドロと流れ出し、見えないようにされていたはみ出しが少しでも可視化されることを願ったからだ。

2022年は、1972年から50年という節目の年である。1972515日、沖縄をめぐる施政権がアメリカ軍から日本政府に返還され、いわゆる「祖国復帰」が実現した。そして、石井剛氏が言及したように、その4ヶ月半後の929日、日中共同声明により日本と中華人民共和国の国交が結ばれた。東アジアという地場を動かす「地政」というものは、この50年でどのように移り変わっただろうか。あるいは「地政」をめぐる言説それ自体が持つ意味や力は、どのように変化してきただろうか。忘れてはならないのは、「地政」とは、決して天から与えられる運命ではなく、意思/意志が関与しながら形成されるものであるということである。それがどれほど複雑に交錯していようと、その発端は、わたしたち一人一人の手に握られているものでもあるのだ。1972年より遡ること50年、1922年に伊波普猷は『古琉球の政治』を出版した。それは、第一次大戦後に沖縄を襲った「蘇轍地獄」という未曾有の経済危機に際して、伊波が、諦めや怒りの中でもがき苦しみながらも、自らの手に握られた可能性の発端を手放さないために書かれた。100年が経過した今も、伊波の葛藤は決して過去のものではない。それどころか、それは世界各地においてより進化/深化した形で表出している。「東アジア」を批判的に思考/志向しなければならない所以である。

 

※本シンポジウムは、多くの方々のご支援によって実現しました。とりわけ、ご多忙の折、基調講演をご快諾くださった尚衛氏・尚満喜氏に、衷心より御礼申し上げます。また、シンポジウム実現のためにご尽力くださっただけでなく、貴重なお時間を割いて毎回の研究会にもご出席くださった井上信一郎氏・今野敬太氏にこの場をお借りして深謝申し上げます。さらに、日頃EAAの活動の基盤を支えてくださっているダイキン工業株式会社に、改めて感謝申し上げます。そして、本企画の実現のために併走してくださった先生方、EAAスタッフの皆様に、心からの「ありがとうございます」を申し上げます。

 

報告者:崎濱紗奈(EAA特任研究員)
写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)