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2025.09.08

【報告】2025年Sセメスター 東アジア思想史読書会 公開読書会・書評会

2025年828日、東京大学駒場キャンパス101号館11号室にて「2025Sセメスター 東アジア思想史読書会 公開読書会・書評会」が開催された。
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年秋に刊行された『「支那哲学」の誕生』(東京大学出版会)の著者である水野博太氏(防衛大学校)を招き、議論を交わした。

冒頭では、司会の張子一氏(東京大学・総合文化研究科)より、東アジア思想史読書会の趣旨説明がなされた。本読書会は2025年から始まったもので、東アジア藝文書院のリサーチアシスタントを務めていた院生が立ち上げた新たな試みである。博士課程の学生を中心に、近年刊行された東アジア思想・思想史に関する博士論文ベースの学術書を一冊精読し、最終回に著者を招いて公開読書会・書評会を行うことを基本方針としている。
本企画は、当該分野の最新研究の動向を把握し、博士論文執筆の方法を学び、著者に若手の所感を届け交流の場を設けることを目的とする、東アジア藝文書院における知的「実験」である。

今期取り上げた水野氏の著書は、西洋学術と近代教育が流入した時期に、東京大学を軸に学問史・思想史がいかに継承・再編されたかを、井上哲次郎・島田重礼・服部宇之吉らの系譜を通じて実証的に描き出し、従来の「漢学衰退」史観を刷新する力作である。本書をめぐり、普段から読書会に参加してきた四人の評者がそれぞれ論点を提示した。

まず新本果氏(東京大学・人文社会系研究科)は、本書の意義を漢学から「支那哲学」への単線的転換を相対化し、多様な可能性を描き出した点に見た。東京大学における形成過程を具体的に跡づけ、戦後批判で見落とされがちだった多様性を再評価。また「支那」概念の問題性、同時代中国を視野に入れない態度の限界、「支那通」養成や漢学改革論の功罪を検討し、現代中国思想研究への接続を意識させるものとして紹介した。

続いて海藤水樹氏(東京大学・人文社会系研究科)は、本書を学術史記述の方法論から評価した。従来の批判をなぞらず、学者の言説を「必然」として描く「謎解き」的叙述を特徴とする点を指摘。井上哲次郎の論争や服部宇之吉の立場を丁寧に読み解き、性格や政治意識を歴史記述にどう位置づけるかという課題を提示するとともに、漢学者の抵抗や研究路線の変遷をどう把握すべきかという問題を提起した。

池上広亮氏(東京大学・総合文化研究科)は、本書の広い視野と隠れた営為の解明を評価しつつ、背景説明や時代文脈への踏み込み不足を課題として指摘。また「中心/周縁」といった概念使用が曖昧さを残す点を批判した。さらに井上哲次郎の哲学的試みについて、単なる失敗ではなく後続思想への接続可能性を検討すべきだと提案した。

冉力帆氏(北京大学・歴史学系)は、中江兆民と井上哲次郎を比較し、東アジア思想と西洋哲学の相互作用を「グローバルな知の循環」として描いた点に注目。兆民が普遍主義的「理学」を通じて未来の哲学を希求し、西洋的傲慢を拒否したこと、井上が国内的制約を超えて「日本哲学」の提示を試みたことを紹介し、両者比較から普遍と特殊の交錯を再評価した。

水野氏は四人の評者に丁寧に応答した上で、博士論文の構想段階から執筆・出版に至るまでの経緯を紹介し、博士研究に携わる者への貴重な助言を与えた。特に、タイトルをあえて「支那哲学」とした実証的理由、思想史研究において歴史と哲学の間でいかにバランスを取るか、さらに東洋哲学や日本哲学を普遍性の問題とどう結びつけるかといった核心的課題について言及した。総合討論では、東京大学における「漢学」や「支那哲学」の社会的影響を整理しつつ、その「本場」である中国学界や社会との関係にも触れ、参加者に広い視野を開いた。

公開読書会終了後にはティータイムが設けられ、著者・評者・参加者の間で交流と熱のこもった議論が続き、充実した時間となった。

 

報告:張子一(東京大学総合文化研究科博士課程学生)
写真:張子一、新本果(同人文社会系研究科博士課程学生)