ブログ
2023.06.05

【報告】講演"The idea of death in Japanese philosophy and literature"@国立清華大学

People

   EAAからの支援を受けて、2023年5月28日(日)から6月1日(木)まで台湾国立清華大学に出張した。台湾には昨年12月に台湾哲学会と中国哲学会での発表のため、出張する予定だったが、新型コロナウイルス感染症による入国規制により、オンライン参加せざるを得なかった。今回の出張の主な目的は、国立清華大学哲学研究所にて”The idea of death in Japanese philosophy and literature”(「日本哲学と文学における死の観念」)について講演することであった。
   講演では、2019年に香港で起きた自殺事件、または東日本大震災のあとで議論された「無常」について紹介し、また天災と人禍に多く見舞われた鴨長明の思想を取り上げ、唐木順三の「無常論」について管見を述べた。唐木は、女流文学の「はかなし」、男性の「無常感」、そして道元の「無常の形而上学」について持論を展開しており、「一切が無常であるというところでは、無所への詠嘆は意味をもちえない。無常ということすら意味をもたない」という結論に至っているわけだが、生きるために意味や価値をつけなければならない私たちにとっては、やはり「無常の形而上学」を拒否すべきであろう。この観点から、九鬼周造の「芸術と生活の融合」の中で言及された死や自殺の歌、オスカー・ベッカーの「美のはかなさ」の中で論じられた「もろさ」と「こわれやすさ」について再検討すべきだと思われた。

                                       
   国立清華大学の鄭喜恒先生・張燦輝先生・呉俊業先生をはじめ、多くの研究者と学生たちと議論するのみならず、EAAとの今後の連携等についての打ち合わせもでき、大変充実した時間を過ごすことができた。なお、国立清華大学の前身は1911年に創立された「清華学堂」で、1949年以後、北京では清華大学として存続し、新竹では原子研究所として復校した。現在、美しい国立清華大学のキャンパスの構内には、原子炉が存在するのである。

報告:張政遠(総合文化研究科)