ブログ
2021.08.18

【報告】EAA第5回座談会「「人間」を価値化する」

2021年8月5日(木)にEAA第5回座談会「「人間」を価値化する」が開催された。今年度、EAAは「価値と価値化」をテーマとする議論に取り組んでいる(EAAキックオフトークを参照)。今回は、中島隆博氏(EAA院長)の司会の下、五神真氏(前総長、理学系研究科教授)をはじめ、田辺明生氏(総合文化研究科)、野原慎司氏(経済経済学研究科)、柳幹康氏(東洋文化研究所)、石井剛(EAA副院長)が登壇し、「価値と価値化」をめぐる議論を深めることができた。当初、感染防止対策を徹底した上で対面で行われる予定であったが、近日来の感染者数の急増状況に鑑みて、全面オンラインでの開催となった。

 

上段左から、石井剛氏、田辺明生氏、柳幹康氏、下段左から、中島隆博氏、野原慎司氏、五神真氏。

 

最初に、中島氏により趣旨説明が行われた。「「人間」を価値化する」という刺激的なタイトルについて、中島氏は、EAAの寄付元でもあるダイキン工業と東大の枠組みの中で「空気の価値化」をめぐる議論に参加したことを契機として、現在さまざまな問題を抱えている資本主義システムの中で展開されている「価値」と「価値化」をめぐる議論を批判的に捉え、もう一度「もの、こと、ひと」を整理し、「価値」と「価値化」を考える機会を設けていくことの必要性を述べた。その過程で大事なのは、こうした議論を再構築していく場もしくはフラットフォームとしての大学の役割であるとし、今回の座談会のような試みの重要性が強調された。

 

 

以上の趣旨説明を受け、五神氏は「社会変革を駆動する大学 ~知識集約型社会を支える「価値」の創造~」と題する基調講演を行なった。五神氏は、総長就任前から抱えていた問題意識――大学が生み出している高度の知が社会で十分活用されていない(言い換えれば、「価値化」されていない)――を元に、それにチャレンジした総長任期の6年間のビジョンと経験を明確に伝えた。総長在任期間中のさまざまな取り組みの中で、とりわけ、デジタル革新に代表される知識集約型社会において、大学主導で、市場と社会に良い刺激を与える仕組みを構築するための「グローバル・コモンズ」構想とセンターの立ち上げが語られた。こうした構想に欠かせない膨大なビックデータの活用においては、デモクラシーとインクルーシブ、良きガバナンスが求められることが強調された。より良い社会を勝ち取るための大学の役割を実践的に示した前総長ならではの示唆に富んだ基調講演であった。

 

 

基調講演の後には「人間を「価値化」する」のは、いかなるものかという問いをめぐり、各分野における報告がなされた。まず、「生の意義としての価値」を題にして田辺氏の報告がなされた。田辺氏は、今は価値喪失の時代であると診断した。その上で、経済的な意味での価値が支配的に語られている現在、この「価値」を根本的に捉え直すためには、今の「価値」の捉え方が構築された近代の前まで遡る長いタイムスパンで考える必要があると指摘した。田辺氏は、人間がいかなる価値を求めてきたのかという観点から人類史は価値の探求の歴史でもあると述べ、価値と幸福、自由、宗教、真理との関係を考察し、洞察のある「生」をめぐる「価値」を見出した。

 

 

次に、野原氏は経済学の観点から価値を論じた。野原氏は、経済史において、価値は商品から労働へ、労働から消費へと移動したことを概観し、その背後に無限の欲望追求が肯定される市場独自のメカニズムがあるとした。つまり、個人の満足もしくは欲望を追求することは、欲望の商品化を通じて、人間活動を価値化するのであり、これこそが資本主義の原動力となったとの説明であった。しかし、情報集約社会である現在にはこうしたメカニズムが問題を起こしているという。特に情報(データ)管理について、野原氏は、諸個人が共有できる情報をめぐる満足の追求が、新たな社会の価値形成をもたらす可能性があるのではないかと提案した。

 

 

続けて「仏教のコモンズと人間の価値化」と題した柳氏の報告がなされた。中国仏教を専門とする柳氏は、出家者の共同体であるサンガを手がかりとして仏教におけるコモンズの形成と運用、思想を紹介した。そこでは「輪廻」に基づいた人間の価値化が試されていたという。それが故に、サンガには多様性と倫理の内面化が進んでおり、担保された。柳氏は、サンガは持続可能なコモンズのインフラとしての物語かもしれないが、現代の私たちはそれに替わり得る物語を持ち得ているのかと問いを投げかけた。

 

 

最後に、石井氏が「斉物的平等と「渾沌」のメカニズム:『荘子』斉物論の近代的解釈から考える」と題した報告を行なった。中国近代の哲学者・章炳麟は、『荘子』斉物論篇に対して、いわば「斉物的平等」という考え方を提起した。それは、等価値であることによって平等なのではなく、価値によって測られることのない「物」の存在そのものが平等であることを指す。こうした「斉物的平等」の考え方はさまざまな声を出す多様性に満ちた「天籟」ともつながり、またそれは「渾沌」(カオス)ともかなさる。つまり、「斉物的平等」の世界観を表す方法としては「渾沌」をもう一回作り出すほかないのではないかとの考えである。石井氏はこうした「渾沌」の場というのは大学であるべきではないかと主張した。

 

 

密度の濃い議論が続いたが故に、総合討論としての時間が十分に確保できなかったものの、登壇者間で、用語の確認や実践の方法と問題点、法律の整備など多岐にわたる議論が行われた。この深くかつ刺激的な「価値」をめぐる今回の議論については、今後原稿を整えてEAAブックレットにする予定である。今から刊行が楽しみである。

 

 

報告:具裕珍(EAA特任助教)