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2021.09.22

【報告】EAAシンポジウム「明治日本における東アジア哲学の起源」

2021914日(火)、EAAシンポジウム「明治日本における東アジア哲学の起源」がZOOM にて開催された。このシンポジウムでは、東アジアにおける「哲学」の系譜を探求する試みの一環として、近代化へと向かっていく明治期の日本の思想状況を詳しく検討する機会となった。当時の日本において、旧制一高から帝国大学を経て東京大学にいたる知の制度化が進むそのさなかで、流入しつつある西洋哲学が東洋思想と創造的な摩擦を生じさせていた。そのなかで日本の哲学者・思想家たちはどのようなことを考え、記述していたのか。五人の発表者が三部構成で報告を行っていった。

第一部を飾ったのは、国立台湾大学哲学系教授の佐藤將之氏による基調講演「「東洋哲学」誕生の契機としての東京大学と明治中期」であった。佐藤氏はまず、私たちが「中国哲学」と呼ぶものは、複雑に入り組んだいくつもの契機によって成立していることを指摘した。中国には古代から連綿と続く思想体系があるが、近世にはそこに西洋の「哲学」が流れ込んでくる。そんななかで日本においては「哲学」の翻訳と制度化が進み、そうしたバックボーンのなかで現代中国の哲学者たちが躍動する。「中国哲学」は単純な像によって捉えることはできず、古代・近代中国・近代日本・現代中国それぞれの「思想資源」をめぐる対話として捉えなければならない。そのような構図でもって見たとき、他の契機についての実証研究に比べ、第三の契機、つまり近代日本をめぐる研究が相対的に不足しているというのが佐藤氏の問題意識であった。この第三の契機をより詳細に明らかにしていくためには、東アジアの知識人たちがいつから自分たちの思想伝統を「哲学」という枠組みで捉えるようになったのかと問いかけなければならない。すなわち、明治期日本における「哲学」「中国(東洋)哲学」という学術領域の誕生を、思想史的なアプローチによって解明しなければならない。シンポジウム全体を貫く問題意識を提示することで、佐藤氏は後続の発表者たちの報告を位置づける観点をクリアに示してくれたと言えよう。

 

 

基調講演に続く第二部は、水野博太氏(東京大学)の発表「井上哲次郎の見果てぬ夢―東西比較哲学と「日本哲学」」に始まった。水野氏は昭和初期から時代を遡る形で、西洋哲学の語彙・概念を以って中国哲学を解釈しようとした松本盛長、後藤俊瑞、林茂生を紹介し、その試みの先駆者である井上哲次郎へと話を展開した。そして井上のポール・ジャネへの反駁や第11回国際東洋学者会議(1897)での発言などを交えつつ、最晩年まで日本哲学の存在を主張し続けた井上の日本哲学観が形成された背景を辿った。発表後、コメンテーターの林永強氏(獨協大学)からは、井上にとっての東洋哲学・西洋哲学の定義や、現代における日本哲学のアイデンティティーに関する質問が寄せられた。

 

 

つづいて胡潁芝氏(明治大学)、東洋哲学としての老荘思想受容を、夏目漱石の場合に焦点を当てて論じた。胡氏は漱石の老荘思想受容を漢学素養とみなす既存研究のスタンスに疑問を呈し、井上哲次郎の「比較宗教及び東洋哲学」講義を含む漱石が接した東洋哲学の教育環境に触れた。そのうえで、漱石の論考「英国詩人の天地山川に対する観念」(1893)や漢詩などに見出される老荘思想と関わりの深い記述の詳解、さらに「老子の哲学」(1892)と内田周平の『老荘学講義』(1894)の比較検討を通して、漱石の老荘思想受容を東洋哲学受容として考察する必要性を強調した。発表に続き、コメンテーターの片岡真伊氏(EAA特任研究員)からは、漱石の東洋哲学としての老荘思想受容とその英国での経験との関わり、また漱石の老荘思想観の変遷などについて質問があった。

 

 

第三部では、まず山村奨氏(昭和薬科大学)近代日本における陽明学の展開という主題について発表を行なった。山村氏は自身の著書『近代日本と変容する陽明学』(法政大学出版局、2019年)に基づき、井上哲次郎、高瀬武次郎、石崎東国の陽明学理解を紹介したうえ、三宅雄二郎(雪嶺)の著書『王陽明』(1893)で示された儒教観や、心即理・良知・知行合一という点をめぐる陽明学と西洋哲学の比較を重点的に取り上げて論じた。本発表のあと、コメンテーターの田村正資氏(EAA特任研究員)からは、幕末の志士たちを惹きつけた陽明学のポイントおよびそれと明治政府との思想上の継受関係、陽明学と西洋思想を比較するモチベーション、三宅の『王陽明』が対象とした読者層などについて問題提起がなされた。

 

 

 続いて郭馳洋氏(EAA特任研究員)は井上哲次郎の大我小我論と「東洋哲学」をテーマに発表を行なった。郭氏はまず近代中国の言説にも頻出した「大我」「小我」という語は井上に由来したと紹介し、井上の現象即実在論および倫理的宗教観における人天合一説と大我小我論の展開を整理した。そしてこの大我小我論と井上の『日本陽明学派之哲学』(1900)における中江藤樹論との間テクスト性を明らかにした。その後、コメンテーターの工藤卓司氏(県立広島大学)は、井上の論理と朱子学・陽明学の類似点、井上による東西思想比較論における比較対象の通時的変化、井上の藤樹論と同時代のそれとの差異、「東洋」と「東アジア」という用語の相違、今日に井上のテクストを読む意義について質問を寄せた。

 

 

本日のシンポジウムでは「中国哲学」「日本哲学」という学問ジャンルの成立と明治日本の思想的水脈との錯綜した絡み合いに分け入り、その膨大なアーカイブからの言説化の可能性が模索された。「中国哲学」ないし東アジアの「哲学」をめぐって、その自明性や自己完結性を前提としないような語り方がいまこそ求められているのではないだろうか。

 

報告者:田村正資、片岡真伊、郭馳洋(EAA特任研究員)