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2021.12.02

【EAA Dialogue】國分功一郎氏×王欽

2021年9月27日、國分功一郎先生と王欽先生のダイアローグが行われました。今回のテーマは「中国における日本のサブカルチャー」。1980年代から1990年代に中国のテレビで放映されていた日本のアニメを実際に観て育った王先生と、留学に際して日本のアニメ文化のフランスでの受容を目の当たりにした國分先生の双方の視点から、はからずも、2つの国の、幾分か異なる時代で、どんなふうにアニメが字幕翻訳を経て、ひとびとに受け止められて爆発的な人気を博していったのか、ざっくばらんに愉しいおしゃべりが展開されました。

中国でのアニメ普及に海賊版が果たした役割の大きさや、フランスのカトリック社会での規範意識との関係、アニメを誰が見るのか、という年代や大人の定義の問題、さらには、データベース消費や資本主義をめぐって、終盤ではポケモンGOとデモ、ゲーム的リアリティについて、非常に興味深い応酬が交わされました。

ダイアローグの最初で、王先生が慎重に、ここでいう中国を定義する必要がある、と述べ、毛沢東時代のサブカルチャーに目配せをしつつも、現代中国に限定する、と言ったことが印象的でしたが、おそらく同様の操作を「日本」についてもする必要があるのかな、と思いました。それから、おもに少年漫画ベースでおしゃべりが進んでいたので、少女漫画についての状況も、どうなっているのか、興味が掻き立てられました。セーラームーンをはじめとするキャラクターが、それこそいまに至るまでどのように受け止められてきているのか、さらに話を聞いてみたい、と思っています。

個人的に面白かったのは、アニメをみる社会階層をめぐるやりとりを受けて、わたしから、現代中国のなかでも農村ではアニメ受容はどうなっているのか、と質問したところ、王先生から、テレビはなくても、むしろ、本の形で、二次創作でまったく新しい物語が作られて、流通している、という話を聞いたことです。毛沢東時代には中国の古典に基づいて子どものためにアニメが創られていたと言いますが、なにか新しく物語が創られる際の素材はどのようなものであり、どうやって、そのような昔から受け継がれてきているイメージが編まれて変遷してゆくのか、具体的な例をぜひ観てみたい、と思います。

わたし自身は、1990年代前半、幼稚園時代から小学校に入学するあたりまで、北海道の片田舎で再放送アニメらしきものを早朝に断片的に目にしつつ、『衛星アニメ劇場』をリアルタイムで観ていた世代です。おそらくその前後から、急速にテレビゲームが普及していったと記憶しているのですが、スマートフォンやインターネットのこの時代に、括弧付きの「子どもたち」がどんなふうにアニメを観ているのか、歴史の流れとともに複数文化の視点から、振り返ってみたい、と思いました。

このダイアローグは、これまでのEAAダイアローグシリーズの一環として、Bookletになって公開される予定なので、楽しみにお待ちいただければ幸いです。

 

 

報告・写真:髙山花子(EAA特任助教)