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2022.07.04

【報告】第10回東アジア仏典講読会

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2022年4月23日(土)日本時間14時より、第10回東アジア仏典講読会を開催した。今回はダヴァン ディディエ氏(国文学研究資料館 准教授)より「日本的看話禅の誕生」と題する研究報告がなされた。

複数の公案に基づく修行法として有名なのが所謂「白隠禅」であるが、白隠以前の日本禅宗にも複数の公案を用いた例が見える。その起源について、先行研究と一次資料に基づく綿密な考察が為された。

中国禅宗では一つの公案による一回の悟りが基本的であり、朝鮮・日本の禅宗でも同様であった。ところが日本の中世になると、複数の公案が用いられるようになる。その起源について先行研究では、潮音道海(1628-1695)の『霧海南針』の記述に基づき、大徳寺の養叟宗頤(1376-1458)に始まると目されてきた。しかしながらダヴァン氏によれば、かかる理解には問題があるという。なんとなれば、同門の一休宗純(1394-1481)は養叟に対して、「偽の禅を教えている」「禅を売り物にしている」「本来教えてはならない人たちに禅を教えている」「仮名で禅籍や公案を説明している」など様々な批判をするものの、複数の公案使用には全く言及していないからである。もしそれが養叟の手による新たな指導法であるなら、一休の攻撃の的になっていたはずである。そうでない以上、それは当時既に一般的なものとなっており、その起源は更に遡ると考えられるという。

その起源を探るにあたり、ダヴァン氏は「下語」(あぎょ)に着目する。「下語」には次の二種の意味がある。

第一に、師が弟子を指導する際に公案(禅の課題)に付した寸評である。かかる下語を含む公案集は中国でも作成されていたが、日本では大徳寺を開いた大燈国師こと宗峰妙超(1283-1338)に始まる。そして彼の禅にとって中心的な要素となるのが、この下語と、それを含む公案集なのだという。

第二に、師に対して弟子が見解を示した語である。これも中国禅によく見られるものであるが、日本ではこの意味での下語が新たな役割を果たした。それは、「学生の回答のようなものになったことだ」という。すなわち密参録と称される多数の公案の解答を記した書物には、師家が学人に下語を求めて、学人が示した下語によりその見解を評価するというパターンが基本的な流れのひとつになっているのだという。

またダヴァン氏は、当時の公案集が単なる公案の集成でなく、効果や難易度など幾つかの基準によって編まれていることから、ひとつの公案に集中する従来の実践から、様々な公案を使用する日本独自の新たなスタイルへ移行したことは、自然な進化だったのではないかと推測する。また後代の文献に見える大燈の説——「公案の順番に理由がある」「公案ごとに異なる効果がある」という理解——について、それが本人の思想を反映している可能性も捨てきれず、今後、虎関師錬(1278-1346)など同時代の資料も参照しつつ慎重に吟味する必要があると結んだ。

上述の発表について、日本禅宗における漢文と和文の関係、日中の公案集の異同、中世の禅と白隠禅の関係などについて様々な質問・見解が示され、活発な意見交換が為された。

前回の虎関師錬の修証論を分析した佐久間氏の発表に続き、今回ダヴァン氏により当時の日本禅宗における公案の使用状況が報告され、禅宗が中国から日本へ伝わるなかで遂げた独自の展開の詳細がかなり分かるようになってきた。日進月歩の禅研究の成果を参加者の皆様と共有することができ、意義深い講読会となったことを嬉しく思う。

報告者:柳幹康(東洋文化研究所)