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2022.08.08

【報告】東京大学東アジア藝文書院と四日市高校の皆さんの交流会

2022年8月1日(月)、駒場Ⅰキャンパス17号館のKALSにて「教養を哲学する」をテーマに「東京大学東アジア藝文書院と四日市高校の皆さんの交流会」を行った。
この交流会は、三重県立四日市高等学校が毎年実施する「東京大学等見学会」内の企画の一つとして、初めて開催された。四日市高校側からは、2年生の生徒24名と学校長、教員2名、合わせて計27名が、EAA側からは、石井剛氏(総合文化研究科、EAA副院長)と張政遠氏(総合文化研究科)、学生5名(EAAユース生と四日市高校卒業生)、合わせて計7名が、参加した。
参加者には石井先生より、事前課題として以下の3つの問いがあらかじめ提示されていた。
1. 「教養」とは何でしょうか?
2. そもそも何のために「大学」に行くのでしょうか?
3. 世界に「普遍性」はあるでしょうか?
この3つの問いをベースに、石井先生がファシリテーターとなって交流会は進行した。

 

まず、事前課題の1つ目「『教養』とは何でしょうか?」については、はじめに石井先生から参加学生数名に対して同じ問いを投げかけ、学生から教養の特徴や態度に関する発言があった。これらの発言がなされたのち、生徒4〜5名・学生1名のグループに分かれて話し合った。ディスカッション後、数個のグループから話し合った内容の共有があり、何が教養なのか、教養をどう行うのか、という視点から意見が出された。また、石井先生から教養やリベラルアーツにまつわる歴史が簡単に紹介された。
次に、事前課題の2つ目「そもそも何のために『大学』に行くのでしょうか?」へ話題が変わった。ここでは、そのままグループディスカッションに移って話し合われた後、石井先生が、大学にすでに入った張先生や私たち学生に対して「大学に入って1番良かったことは何か」と問いかけた。この問いに対する応答は、人との出会いや客観視した上での自己理解などであり、直前のグループでの話し合いで生徒たちが考えていた学問や専門の観点ではなかったことは興味深い。加えて、石井先生から、高校までとは異なり、大学は答えのないことを学生自身に解決してもらう場所であることや、学問は問うことである、との話があった。
そして、事前課題の3つ目「世界に『普遍性』はあるでしょうか?」を最後に扱った。石井先生は、『荘子』斉物論における「朝三暮四」の逸話を例に挙げながら、世界には、結果が同じでも見る角度を変えると別になることがあることや、個々の理屈があって摩擦が生じていることがあることを指摘した。その上で、大学は一時的な解が現れる一瞬を探し出す場、一緒に普遍を考えたり作り出したりする場である、との見解を述べた。さらに、ヤスパースを引用しながら、人間の特徴として「相互に理解し合える」 ことや繋がりを指摘し、より良い人間を目指すための教養・大学という考えが示された。その場所たる駒場で2年後に入学して再会できることを願って、交流会を締めくくった。

最後に、私の所感を少し記述してこの報告を終えたい。事前課題が提示された際、答えのない抽象的な問いを考えるのにおそらく慣れておらず、生徒たちにとっては難しいかもしれないと感じていた。実際、交流会の最中、生徒たちにとって聞き慣れていない言葉も登場していた。それでも、見学会のしおりに考えたことをしっかりメモしてきた生徒、逆に交流会の場で考えることを大事にしたいと事前準備を最小限にとどめて臨んだ生徒、頭を悩ませつつも自分で考え自分の言葉で表現しようとした生徒など、各生徒が奮闘する様子が印象的だった。また、大学生の私としても、これまでの大学生活や自分自身の見解を振り返るトピックが多く、先生、学生、生徒の意見に耳を傾けながら見つめ直す機会となった。
末筆となりますが、予定していたキャンパス案内を断念せざるを得ないほどの猛暑の中、事前準備も含め開催にご尽力されたみなさまに感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

注) 撮影時のみマスクを外しています

 

報告者:森要(EAAユース)