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2025.12.08

【報告】仏在住の詩人・翻訳家 関口涼子さんに聞く詩作と翻訳

関口涼子:聞き書きかえすアルシヴィスト

1112日、と、ひとまず書き起こすけれど、アルシーヴが必ずしも日づけによって秩序立てられねばならぬ理由はないし、さらにいうと日づけそのものがほんらいアルシーヴされる権利を有しているとも言えて、いつも枠外に置かれているのはずいぶん酷なことだというような気がする。

フランス在住の作家、翻訳家、関口涼子は、自身のヴィラ・メディチ(毎年フランス政府によって選出され、「芸術のメッカ」イタリアにいかなる条件もなく送りこまれ、1年かんをひたすら試作にだけ費やす権利をえる、非常なる名誉)体験について、「残酷」という語を用いたが、その意味は、まさに時間、日づけの問題にかかわっている。

1年という時間は、とても巧妙に計算されている。たとえば1112日という日は、ふつうならばまた巡ってくる。けれど、ある種現世的関心から1年かん隔絶されていきる人々にとって、この常世の1112日は一度しかやってこない。そこから、以下の帰結を導きだせるという。人は、時間がある程度円環であると信じられるからいきていける。単線的であるだけの時間というのは、残酷である。

多くのヴィラ・メディチ経験者は、現世の、まわる時間に戻ってからおおいに苦しむのだという。アルコール中毒、不安、離婚。なんとも残酷な余生だ。あるいは余生の余生というべきか。関口氏は、みずからのそうした苦しみについてはあまり語らなかった、というかあまりなかったようだ。

このことは関口氏の、いきる、生活ということへの特異な感覚にもとづいているようだ。

関口氏は、いきるということを、技術的な問題だと言い放った。すでに日本で詩人としてふくすう刊行物をもち、フランスに留学、みずから仏訳した自身の詩集をPLO出版社に送りこみ、日本への帰国まぎわになってアクセプタンスの電話をもらったのだと言う。そうして彼女は「生まれ変わった」。フランス語作家としての生がこのとき始まったからだ。しかしこのひよめく生は日本に帰国すればおそらく枯死してしまう。フランスに残れば、じぶんは2カ国語で書きつづけることができる。それに比べたら、生きものとしての生は、技術的な問題にすぎない。筆者はこれを聞いたとき震撼した。こんにち、文字に身をやつしている人たちの、100人中99人、いや1000人中999人、反対に言うだろと思ったからだ。文学こそ単に技術的問題であって、生きものとしての生が、文学が捉えようとして結局捉えること能わない、至上のナゾである、と。つまり関口氏は文学がさいしょから限定された営みであるとはっきり分かっている。たとえある制度によって生活の部分が時限つきで担われていようとも、そのために文学が生命のすべてに押し広がろうとも、それが特異な(残酷な)体験でけして本来的でないと分かっていれば、余生の余生にわりかし簡単にもどることができるのではないか。筆者はそう、想像した。

また、関口氏は別種の限界体験についても語ってくれた。

その体験も日づけと特権的に関わっている。日づけがもし、そのままではあいまいに反復しつづけるものだとして、ある種の日づけは、そうした反復を停止させる力をもつ。日づけという反復が、ある特権的日づけそのものの反復にすげ替わる。たとえば、311日。まるでそこから歴史があらたに始まるような錯覚をひき起こす。

2011年の3.11を関口氏はフランスで迎えたそうだ。ちなみに筆者はイギリスでその日づけを迎えた。関口氏は、「東北が地図から消えるかもしれないと思った」といい、ぼくは何地震ごときで騒いでと思った。関口氏はそれいこう感覚のアルシーヴの制作に取り組みだした。震災によって失われるのは、死亡者数や、行方不明者数といったものよりも、「日常を構成するもの」だからだ。文学はそれを救うことはできないけれど、残すことができるのではないか。そこから食を執筆のテーマに据えるようになった。文字という、視覚かせいぜい聴覚に限定されることで賞味期限が永遠になる東北の食、フランスの食、レバノンの食…… それを翻訳であると関口氏は言った。その食べものを食べることができないひとのために、味や香りを、ことばに移す。

つまり、関口氏にとって3.11も、(日常)生活という素地があって、それに外部から押しよせたものである。そのけっか日常は破壊され、それを構成するさまざまな感覚は忘却されるが、逆にいえば日常は確かにそこにあったのであり、文学はそれを腐らないかたちで残す、翻訳する使命を担うことができる。

私事をいうと、3.11は、ぼくの中でその日づけだけが空疎な数字として空転している。ぼくの実家は宮城県の沿岸で、年の何ヶ月かをここで過ごし、そこでの日常は関口氏よりもずっと染みついているはずだのにさっぱり憶えていない。ほとんど最初からなかったとしか思えないほど。驚くべき修正主義である。べつにトラウマがあって抑圧しているとかそういうことではないだろう。最初からトラウマを受けとるべき地がなかった。関口氏のほうが、それをしっかりトラウマとして受けとってくれた。ぼくにとってそのことは素直に妬ましい。だが本当は、関口氏の中で東北の生活が残すべきものとして存在しているのは、彼女がそれを現にことばとして残してきたからであり、それ以上に深甚なナゾはない。イギリスにいたぼくと、フランスにいた彼女では、出発点はほとんど変わりない、というより、どちらかといえばぼくの方がめぐまれていて、その後の15年かんの生活で失いのしかたが違ってしまったということだろう。

いま関口氏は、ヴェネツィアでの聞き書きをもとにした小説をフランス語で準備しているそうだ。文学は、とくにヴェネツィアのような都市にとって、ずっと「観光的」クリシェの再生産をおこなってきた。それとは違う、街じたいが生きられるような物語をつくることはできないか。「文学は都市にとって何ができるか」。つまり文学は都市そのものではないのだ。クリシェ生産者は都市と文学を混同している。生活と、その表象を。表象が生活を蔽いつくしたとき都市は観光客の占有となる。そうではなく、生活そのものを、表象に書き写していく。関口氏がどのようにしてヴェネツィアを聞き書きかえすのか、筆者としては楽しみでならない。

最後に、これだけのお話を関口氏からひきだし得た、フランス留学の同期生、國分功一郎に敬意を表して、報告とさせていただく。

文責:仁科斂
写真:朴在淳