2025年8月2日、シンポジウム「戦後50年+30年としての現在から、世界に言葉を与える」が開催された。タイトルにある「戦後50年+30年」という言葉には、戦後50年に当たる1995年に立ち返りつつ、私たちがいまどこに立っているのかを見定めようとする意図が込められている。
そもそも「戦後」という時間のとらえは、国や社会によって異なる。今年2025年は日本にとって「戦後80年」に当たるが、同じ「戦後」という言葉も、フランスなどではせいぜい1950年代初頭までの時期を指すことが多い。日本では、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言したのは1956年だったが、政治・外交・社会・文化においては「戦後」の課題が長く続いた。
1995年が節目の年になった。1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が起きた。7月の参院選では社会党が凋落し、自民党が復権した。8月15日には村山談話が発表され、日本がかつて行なった「植民地支配と侵略」に対する「反省」と「心からのお詫び」を正式に表明した。
この年の『群像』1月号に文芸評論家の加藤典洋が「敗戦後論」を発表し、圧倒的な軍事力を背景に平和憲法を押し付けられた戦後日本社会の人格的分裂を論じ、ねじれを抱えた日本が先の大戦の反省をするには、まずは自国の死者を弔い、近隣諸国に謝罪することのできる主体を立ちあげなければなければならないと主張した。これに対し、哲学者の高橋哲哉が自国の死者を先にするのはおかしいと指摘し、大きな論争を巻き起こした。
本シンポジウムは、この論争をひとつの出発点としつつ、それから30年を経た2025年という現在地に立って、「戦後」とは何かを問い直すことを試みた。登壇者には、30年前の論争の当事者である高橋哲哉氏、戦後日本を考えるには欠かせないアメリカを専門とする三牧聖子氏、加藤典洋の薫陶を受けた須藤輝彦氏の3名を迎えた。
高橋哲哉氏は「来るべき「戦後」について」と題して、30年前の論争を振り返りつつ、加藤氏がその後、自国の死者の弔いによる人格分裂の克服という議論を十分に発展させるには至らなかったのではないかと指摘した。その一方で、加藤氏の後年の議論には共感できる部分も少なくないとして、一定の批判的共感を表明した。その核心にあるのは、憲法9条と米軍基地が実は相補的な関係にあることについて両者が共通の認識に至ったことである。
もっとも高橋氏は、加藤が提唱する国連中心主義による対米従属からの脱却というシナリオには一定の留保も付した。というのも、戦力と交戦権を国連に委ねる発想を、アメリカが容認するとは到底考えられず、現実味に乏しいからである。代わりに高橋氏が注意を促したのは、キャサリン・シッキングが提唱する「正義のカスケード」という概念である。これは、政治的・軍事的指導者による重大な人権侵害に対して刑事責任を問うという戦後の国際社会の規範的潮流のことである。高橋氏は、戦力を国連に委ねるアメリカよりも、国際刑事裁判所(ICC)に加盟するアメリカのほうが、まだしも現実的に思い描くことができるとし、戦争犯罪を追及する「終わらせてはならない戦後」の文化を根づかせることが、「来るべき戦後」のひとつのヴィジョンになると強調した。
さらに高橋氏は、日本が国際社会において「法の支配」を掲げながらも、トランプによるICCへの攻撃に反論する輪に加わることができなかったジレンマ、また、ドイツがICCを支援しつつもイスラエル擁護の国是を崩せないという矛盾にも言及した。そして、「台湾有事」が語られる今日の状況を前に、戦後日中関係の基礎を再確認することが重要で、決して「第2の沖縄戦」を許してはならないと強く訴えた。
次に、三牧聖子氏の「戦後秩序を否定するアメリカ――日本の選択」は、加藤典洋『アメリカの影』を起点に、冷戦終結後も対米依存のジレンマを抱え続けてきた日本が、「アメリカ・ファースト」を掲げ、現状変更国へと化しつつある米トランプ政権といかに向き合うべきかと問うた。
三牧氏によれば、トランプは「アメリカこそが戦後秩序の犠牲者である」と被害者ナラティヴを用い、国連や国際法に基づく戦後の国際秩序を否定している。また、もうひとつの「戦後」である冷戦後のアメリカ外交が掲げてきた自由民主主義の普遍性という理念からも後退している。国際的な人道支援を「無駄」や「浪費」と切り捨てる一方、ウクライナへの高圧的対応やグリーンランドへの領土的野心など、帝国主義的な姿勢を露わにする2期目の「トランプ2.0」は、権威主義的なロシアや中国に近づいている。このような状況は、大国主導で戦後の世界秩序を策定しようとした80年前のヤルタ会議を再演する「ヤルタ2.0」にもなりかねない。三牧氏は、国際政治学者ジョセフ・ナイの警告を引きながら、アメリカのソフト・パワーの喪失が、戦後80年続いた「アメリカの世紀」の終焉を招く可能性を示唆した。
その一方で三牧氏は、アメリカが支援するイスラエルによるガザでの虐殺が、国際司法裁判所や(ICJ)や国際刑事裁判所(ICC)で問われていること、また、ウクライナ戦争ではロシアを非難しながらガザでのイスラエルの残虐行為には沈黙するという欧米の二重基準に対し、グローバルサウスからの反発が強まっていることに注目する。そうしたなか、アメリカ国内では特に若年層を中心に自国への誇りが揺らぎ、「ガザ連帯キャンプ」が大学キャンパスに広がるなど、親イスラエル一辺倒だった社会にも変化が訪れつつある。三牧氏は、そうした変化に小さな希望を見出しながら、岐路に立つ日本の選択を問いかけた。この視点は、高橋氏の「来るべき戦後」の議論とも響き合うものであった。
続いて、須藤輝彦氏による「距離の問題――あるいは戦争と批評」は、自身を加藤典洋の「教え子」ではあるがいわゆる「弟子」ではないとする微妙な立場から、戦後というより戦争のただなかにあるかのような現代において、加藤の知的遺産をいかに継承しうるかという課題に挑んだ。
須藤氏はまず、経験そのもの――特に戦争のようなトラウマ的経験――は当事者のように継承できず、そこには切断の契機を含んだ接続が必要であると確認した。そして、加藤が日本国憲法を「押し付けられた」ものとしてではなく「受け取り直す」ことを重視したように、自分も加藤という存在――そして須藤氏にとっては加藤と不可分の戦後日本の批評――を受け取り直す試みを語った。
須藤氏は、加藤に即して、日本の戦後批評の原点には、アメリカの存在と戦争によって開かれた「焼け野原の見晴らし」があると述べ、危機=批評のモーメントとは死をはらみつつも希望も内包する「山場」であり、その決定的分岐の観察と判断に関わる営みこそが批評であると述べた。また、チェコの思想・文学に引き寄せて、19世紀の偽書を批判したマサリクと、その彼を「愛国的な幻想と神話を破棄した最も偉大な愛国者」と評したクンデラを紹介し、「私たちによる私たちの批判」に批評の真価があると強調した。
さらに、加藤が『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』において、西欧列強から一方的に開国を迫られていた幕末には正当性のあった攘夷思想が、明治維新の過程で抑圧されたことにより1930年代の皇国思想を招き、戦後も同様の「過ち」が繰り返されたため、さらに劣化した尊王攘夷思想が現代に回帰することを覚悟しなければならないと論じている箇所を引き、現在の危機の状況にひとつの光を当てた。この指摘は、敗者の意識や経験にどのように向き合うかという問題に関わるもので、三牧氏の発表で展開されたアメリカの問題にも呼応するものだった。
登壇者間およびフロアとの質疑応答は多岐にわたり、ここでは網羅できないが、特に印象的だった場面をいくつか挙げておく。司会の私からは、この30年で何が「劣化」したのだろうかという問題意識から、「自国の300万の死者をまず追悼することによって主体を立ちあげ、しかるのちに2000万のアジアの死者に向き合う」ことを提唱した1995年の加藤典洋の主張は、今風の言葉であえて挑発的に言うならば「日本人の死者ファースト」とも言えるが、それは今の参政党のスローガン「日本人ファースト」とは、いくら図式的に似ていても、本質的に異なると述べた。
高橋氏は、30年前の論争では加藤氏が右からも左からも叩かれて孤立していたというが、自分から見れば加藤氏にはむしろ同世代からの支持が多く、むしろ自分こそ孤立感を抱えていたと語った。そして、当時の加藤氏の主張は、今の「日本人ファースト」とまったく無関係とも言えないのではないかと問いかけた。
須藤氏は、これに対して、加藤の目的はまず謝罪にあり、相手側に納得してもらうために、日本の戦前と戦後を連続させる形の謝罪を考えざるをえなかった。順番については個人的にも疑問が残るが、そのような謝罪を具体的に思案した結果ではないかと応じた。そして、加藤は先の侵略戦争で死んだ日本側の死者は無駄死にだったと強調しており、「悪い戦争」で死んだ「汚れた死者」を、それでも弔うにはどうすればよいかという問題意識があったと述べた。
三牧氏は、参政党の「日本人ファースト」はトランプの「アメリカ・ファースト」のコピーだが、「人」が入ることでより排他的になると指摘し、敗者や被害者の意識を持つ者が、怒りを為政者や権力者の腐敗に向けることなく、さらに弱い者に向けても根本的な解決にはならないと述べた。
さらに三牧氏は、MAGA系共和党議員マージョリー・テイラー・グリーンが、イスラエルを支援し続けるアメリカは「アメリカ・ファースト」を忘れて「イスラエル・ファースト」に陥っていると批判していることに触れ、イスラエル批判は、リベラルのみならず、トランプ支持層にも広がりつつあると述べた。そのうえで、2023年10月7日のハマスの襲撃とそれに続く報復という経緯から、イスラエル人とパレスティナ人の追悼の順番という「加藤―高橋」論争を思わせる問題の所在があることを指摘した。
最後に高橋氏は、加藤氏は左右の調停を試みて自分の思考のなかに靖国派を批判的に包摂しようとしたのではないか、しかしそれは無理ではないかと述べた。そして、国際法はある意味で戦争の記憶をとどめた「戦後」の共通の尺度であって、その貴重な成果に立脚することの意義を改めて強調した。
文責:伊達聖伸
写真:洪信慧(EAAリサーチ・アシスタント)
