2025年10月23日(木)、『ミンダナオに流れる祈りのハーモニー』(明石書店)の著者である関口広隆氏をお招きし、フィリピンで行われているシルシラ対話運動による宗教間対話の試みについてのセミナーが開催された。
講演の冒頭で関口氏は、日本ユネスコ協会連盟や外務省専門調査員(在フィリピン大使館)での職務経験を通し、NGOが政治的意思決定に関わる様子を目の当たりしたことで、非国家アクターによる平和運動に関心を有するようになったとの経緯を語った。草の根の社会運動がいかに政治的意思決定に寄与しうるのか、ひいては社会を変革しうるかということは、既存の大国の論理を問い直す「小国」論の可能性を考える上でも重要な示唆に富む。その点においても、「シルシラ対話運動」のさまざまな活動実践はユニークで興味深いものばかりだった。

「シルシラ対話運動」(以下、シルシラ)とは、フィリピン国内で対立の根深いキリスト教とイスラームの宗教間対話を主な目的とし、1984年にカトリック神父であるダンブラ氏やイスラーム指導者らによって創設されたNGOである。「シルシラ」とはアラビア語で「鎖」を意味し、特にスーフィズム(イスラーム神秘主義)においては「系譜」を意味する重要な用語である。クリスチャンがマジョリティを占めるフィリピンで、かつ神父の主導で創設された団体であるが、アラビア語由来の名が付けられていることからも、ある種双方からの歩み寄りを目指していることが感じられる。
シルシラの創設者であるダンブラ神父は1977年に宣教師としてフィリピンに赴任後、先住民やムスリムと積極的に交流し、ムスリムの村で生活を共にするようになった。イスラーム反政府武装勢力であるモロ民族解放戦線(MNLF)とフィリピン政府軍の橋渡しとしても活躍した異色の人物である。ダンブラ神父は創設から今日に至るまでシルシラの活動を牽引しており、まさにカリスマといえる存在である。
講演では、ダンブラ神父の対話の理念やシルシラのさまざまな実践が紹介された。主な活動であるクリスチャンとムスリムらが互いに異なる宗教の一般家庭でのホームステイなどを行う「シルシラ:ムスリムとクリスチャンの対話サマーコース」(1987年〜継続中)の開催や、対話のための共生地域である「ハーモニーゾーン」の設置(7ヶ所)など、宗教間の「対話」にとどまらないより実践的な「協働」への展開が見て取れた。
そしてシルシラの活動は、小さな社会的試みにとどまるものではなく、実際の紛争解決にまで貢献しているという。これまでの活動成果として、ミンダナオ島西部の都市ザンボアンガをMNLFの分派が占拠した2013年の「ザンボアンガの危機」をはじめ、度々生じていたイスラーム武装勢力との紛争や宗教に絡む暴力事件における融和的解決の事例がいくつか紹介された。暴力を伴う紛争の解決に、宗教間対話を行うNGOが貢献する事例はきわめて珍しいだろう。フィリピンでこうした平和的な宗教間対話がなぜ成功しているのか、その援用可能性についても考えさせられた。講演では、フィリピンで2019年に成立したムスリムの自治地域「バンサモロ」についても触れられた。異教徒間の対立が世界各地で生じている現在、実践レベルでの宗教的寛容がある程度「成功」しているフィリピンという国家それ自体の特性というものについても思索が及んだ。
活発に意見が飛び交った質疑応答からこの宗教的寛容に関連して一つ。シルシラの活動の多くがダンブラ神父の強いリーダシップやキリスト教徒先行の感が否めないことを念頭に、マイノリティであるムスリム側からは同じ土俵に立った「対話」と言えるのか、いかに相互的な「対話」として成立させるのかについて質問があった。マジョリティによるマイノリティに対する「寛容」は、しばしば権力の非対称性が内在化されていることを懸念した上での質問だろう。
関口氏は、クリスチャンとムスリムの互いが互いに傷つけられた経験を話し合うことで相互理解に努めた事例から回答したが、その際に「痛みの共有」というキーワードが挙げられた。他者の「痛み」に思いやることはもちろん重要だが、まずは自分がその「痛み」を他者に与えた事実と向き合わなければならないということである。ダンブラ神父による対話の概念において「他者との対話」より前に「神との対話」「自己との対話」が位置づけられていたのはそのためだろうか。
総じて、草の根の活動が実際の平和構築につながりうることを示したシルシラおよびフィリピンの事例は、あらゆる市民団体による社会貢献活動の可能性を切り拓くと共に、世界の平和を希求する一個人としても勇気づけられる社会の営みであった。

文責:牟禮拓朗
写真:劉仕豪(EAAリサーチ・アシスタント)