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2022.03.04

文運日新 03: 離任にあたって――田村正資さん

 2021年3月をもって、任期満了で特任研究員を退職し、学術的な研究機関から離れることになった。震災の年に入学してから11年間、東京大学(とりわけ駒場)にお世話になった。高校生のころは、もう小学校の6年間を超えて同じ機関に所属することはないだろうと思っていたが、振り返ってみれば小学校を2周できるくらい長い時間を過ごしたことになる。これといった将来の展望もないままに入学したが、哲学や思想をただ学ぶのではなく研究するという生き方に出会い、ひとたび魅了された。博士課程に進学し、EAAで研究員として働くことになった。そして、2年間の任期を終えて研究を生業とする生き方からひとたび離れることにした。

 EAAには2020年の4月から2年間、研究員として在籍した。この2年間のあいだ、EAAの業務に携わりながらも、のびのびと自分の研究に打ち込むことができた。この機会を提供してくださったEAAのみなさんには、あらためて感謝したい。

 EAAの業務として印象深いのは、2020年度の学術フロンティア講義「30年後の世界へ」やちくま新書の『世界哲学史』シリーズの刊行を記念して行われた一連のシンポジウムの運営に携わったことだ。ほかにも、各種シンポジウムや書評会など、自分の考えを発表する機会も数多くいただいた。自らの専門であるフランス哲学やメルロ゠ポンティの研究をしているだけでは出会うことのなかった人々や主題にふれることができた。人類史上稀に見る疫病の流行によって学術的な成果を発表する場がオンラインに移行したことも、未知の分野を広く浅くみわたそうとするときには利点となった。

 個人的にもっとも大きな成果となったのが、EAAで刊行されるブックレット『偶然と実存』の執筆である。同書では、偶然性というテーマを軸に、九鬼周造、メルロ゠ポンティ、メイヤスーの3人について論じた。そのなかでも取り上げたが、九鬼周造は「偶然性」を「独立した二元の邂逅」と表現している。そのような意味で、このブックレットは筆者とEAAが邂逅したことによる偶然の産物である。東アジア藝文書院という場に恵まれたことで、それまでフランス哲学の研究に閉じこもってきた筆者がその外に一歩踏み出すことができた。この実り豊かな出会いを著作のかたちで残すことが出来たのは、研究者として幸福なことであった。

 これからの1年間は、研究機関ではないところに所属しながら博士学位請求論文をまとめていかなければならない。EAAからも研究機関からも離れる道を選択した理由はいくつかあるが、この2年間のあいだに自分自身が置かれた偶然的な状況から伸びた芽がどのように花を開くのか見届けてみたくなったからである。大学のなかで業務に携わりながら研究に従事する道も、研究から完全に離れて別のことをやる道も自分には選べなかった。そうして過ごした博士課程より後の5年間を振り返ってみたとき、他の人からは中途半端に見えるかもしれない道が自分にとって理の通ったものなのではないか、と思うようになった。

 大学でなければ研究に従事できないのではないか、という思い上がりを捨て、研究でなければ熱中して打ち込むことができないのではないか、という不見識を拭い去ること。借り物の執着に身を委ねず、自らの偶然性にしっかと向き合うこと。EAAで過ごした2年間は内省の2年間でもあった。

 筆者がEAAに在籍した期間、オフィスへと出勤したことは数えるほどしかない。自分の部屋のなかに閉じこもっているあいだ、世界の秩序はあらゆる意味で大きく組み変わってしまった。目まぐるしく移り変わる状況は、このあいだまでアクチュアルなものだと感じられた思索を一瞬にして陳腐なものに変えてしまう。状況に翻弄された思想は、情勢に即応するべく整えられた表情を引き剥がされ、その地金を晒すことになる。そうした趨勢を目の当たりにしながら人文学研究に携わったことは、今後の筆者にとって本質的な経験になるだろう。