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2022.03.07

文運日新 04: 離任にあたって――佐藤麻貴さん

安禅不必須山水 (『碧巌録』第四十三則より)

 

今春で、博士課程入院から数えて九年間(20134月~20223月)在籍した東京大学を離れる。この間、学生、教務補佐員、研究員、助教、准教授と、様々な役割を担わせていただいた。一つの区切りとはいえ、まだ道半ばだと自覚し、自らが探求の試みの只中にいる者が、退任にあたり所感を述べるのは大変おこがましいことと思う。こうした機会を頂戴することに深く感謝すると同時に、この所感は所詮、愚者の戯言であることを、まずは明記しておきたい。

 

私事になるが、東京大学とは、なんとなく、ものごころついた頃から縁を感じている。陸蒸気に乗って上京し、銀時計を携えて兵庫に帰郷した曽祖父をはじめ、東京帝国大学時代から、身近な親族の中に東京大学と縁のある者がいるからだろう。私個人は東京大学を横目に、学部と修士は慶應義塾大学で六年間を過ごした。然しながら慶應でも、指導を受けた教官の大半は東大卒であった。学部時代は、衛星画像分析や地理情報システムの指導教官SKに連れられて、本郷の空間情報基盤センターや当時は六本木にあった生産技術研究所に足しげく赴いた。修士時代は、指導教官YKが退官まで本拠地にされていた本郷の工学部三号館をはじめ、弥生門を通り抜けて学生のタコ部屋研究室があった浅野キャンパスへと、毎日のように通ったことを思い出す。当時はキャンパス内には女子トイレというものが大変少なく、男子トイレを失敬しては、諸兄方を驚かせていたことが懐かしい。

 

社会人になって暫く社会の荒波に身を委ねていたが、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』(1919)の一節にあるように、「私は、自分の中からひとり出て来ようとしたところのものを、生きてみようと欲したにすぎない」という動機から文転し、東京大学大学院総合文化研究科に哲学、思想を試みる者として入院する。この試みは、振り返ると、大変刺激的であったと同時に大変困難な道を自らが選択し、自らに課すことでもあったように思う。文系的な世界は、世界の理不尽や非合理的な混沌をそのまま内包し、包括的に体現している。それは、自らが論じる世界をシステムとして切り取り出し、システムを構成する各構成要素を自らが再定義することで、それらの振舞を客観的に理解しようという検証可能性を担保した科学的なアプローチとは、随分とアプローチ手法を異にする。しかしながら哲学や思想に戸惑う私の傍には常に、忍耐強い先生方と心優しい友人たちが、伴走して下さった。

 

今の私は入院前と比すと、哲学や思想を、それなりに理解し、サブスタンスとして目には見えない概念の連関を把握し、その中から未来へと繋がる新しい概念や考え方の糸口を探り出そうとしている者になっていると自覚する。自覚はするものの、今の私は、やはり、文系的思考に対する、釈然としないものを常に抱え、おろおろと試行錯誤している。つまり、私は知的に成長したことを自覚するが、それは知識を蓄えたに過ぎず、まだ智慧にまで昇華しきれていない過渡期にあると言える。それはつまるところ、物事を断言したり、言い切ることができないという、もどかしい見地に逆戻りしたということでもある。深く広く物事を知るということは、人から、言の葉を奪うというパラドックスがあるようだ。しかし、敢えて、そのパラドックスに留まり、額に汗しながらも言葉を紡ぎ出していこうとする作業が、文系的研究の醍醐味でもあるだろうと思う。加えて、自らが紡ぎ出した言葉が構成していく概念、それらを導出していていくための日常における思考的態度を、自らが客観的、反省的に、文字として再帰的に読み返すという作業をしていない、あるいはそうした作業から離れた人間は、既に、学を志す場にいながらにして、学を志す者ではないのだろうということも、容易に推測されるに至った。このような見地に立つと、古代から現代に至るまで、本質的に物事を論じている人間が如何に少なく、希少であるのか、ということに気付かされる。と同時に、巷にありふれたゴミではなく、珠玉に触れる機会を保つべく努力することが、自らが課した知の探求の品位を保つ手段でもあろうと思う。

 

東京大学を去ることは、一つの区切りである。しかし、それは次の側面へ移行するだけのこと。私にとっては、東京大学とは一つの通過点に過ぎず、哲学、思想を探求する者としての御免状を獲得した場所である。東京大学という場は、たくさんの良い思い出と、心温まる素晴らしい出会いをもたらしてくれたと同時に、苦々しく腹立たしい経験をさせられたことに加え、人間のみじめで、くだらない側面を、実にまざまざと間近で観察させられた場でもあった。『碧巌録』の「安禅不必須山水」という言葉は次第に私の座右の銘になった。東京大学に在籍した9年間、様々な役割を与えていただき、それらの役割に応じて東京大学に関わらせていただいた中で強く思うのは、東京大学を形作るのは、人生の一時の間、この場に集う、何ものにも代えがたく掛け替えのない、一人ひとりの人材である。一人ひとりが宝であり、そこには本来、学生、教員、職員、有期雇用、無期雇用、年齢、ジェンダーの差異など一切無いはずだ。ある友人が、人間を深く失望させるのも教育の一環だと教えてくれたが、学を志す場というのは失望を誘うのではなく、大学への関わり方や大学での立場に関係なく、己己円成—個々人が美しい花を咲かせること―を相互扶助する場であるべきと思う。東京大学の学生、職員を経て教員になった一番の喜びは、真剣に智と向き合おうとしている学生から、逆に私が教えられることの愉快さと、彼らが未来へと繋いでいってくれる希望に触れられたことでした。

 

私はこの春、この場所で得た種々様々なことを胸に刻み、この場所から解き放たれ、新たな未知に向けて旅立ちます。長い間、お世話になりました先生方、陰ながら支えて下さりました職員のみなさま、私の授業にお付き合いいただいた学生諸君、お一人おひとりに、この場を借りて心から御礼申し上げます。大変得難い、貴重な学びの機会を頂戴し、誠にありがとうございました。

 

佐藤麻貴