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2023.09.01

【報告】第13回 藝文学研究会

2023年829日に、第13回藝文学研究会がハイブリット開催された。本ブログの執筆者である丁乙(EAA特任研究員)が、「王国維『人間詞話』の成立条件:「情」による人間のあり方」という題目で発表を行なった。

本研究会は、本年11月開催予定のシンポジウムに向けて、“Human co-becoming”という理念を思考することを目標としている。今回は美学の視点から、王国維(1877-1927)の『人間詞話』(1908-9)の成立背景に注目して、洋の東西を問わない人間のあり方の一解答を検討した。

王国維は、近代中国の第一世代の美学者とされている。一般に彼の美学思想は哲学研究と文学研究の間(あわい)に位置するものと認められるが、両方の分野を合わせてもその執筆期間(1903-11)は決して長くない。とはいえ、極端なまでに古今東西の思想を平等に捉え論じようとする姿勢、また、西洋哲学・美学思想を中国の伝統的文化に応用する方法は、のちの中国美学の展開路線を規定した。また『人間詞話』は、詞を批評するものだが、執筆者自身の理論が(ある程度先立って)あり、王国維の重要な美学思想を反映している。

発表では、まず、王国維にとっての「人間(ジンカン・ニンゲン)」の意味が確認された。彼はこの世から距離を取りたいが、ショーペンハウアー思想を受け、(例えばハイデガーのように)対象に対して「無頓着〔冷淡〕(Gleichgueltigkeit)」で「われわれの意志を何らさしはさまない」のではなく、むしろ対象との積極的な関係を重視する立場をとる。「人生の問題が、日々私の前を往復したため」(「自序」一)、王国維は哲学探索を始めたが、その内部での愛すべきものと信ずべきものの分裂に失望し、文学批評に転じた。その心境転換を、ロゴスとパトスの間で引き裂かれていると彼は感じ、それによって両者の対立が及ばない領域を求め、文学に惹かれていったと解釈され得る。

そのような折に『人間詞話』が誕生したことは、人生の問題について、知性ではなく感情のほうによって答えを探求しようとした営みの結果と考えられる。さらに、『人間詞話』に見られる模索は結果的に「感情」に収まらず、中国の思想的伝統におけるより広義的な「情」につながるものであると、報告者は指摘した。ここでいう「情」は、主体の感情や情念のほか、「事物のあり方を他の事物との関係性・反応性において規定する」、「人間の本質的なあり方」を意味する。その意味の重層性は、王国維の戴震(1724-77)批評や『人間詞話』テクストを通して、知性へ導きうること、ないし他者への伝達可能性が明示されている。以上により、いわゆる人間の理想的なあり方は、王国維の視野ではおそらく、「愛すべき」(中国語「可愛」)ものと「信ずべき」(「可信」)ものを両立させうる、「情」に立脚しながらも一種の普遍妥当性を有するような理想的なあり方であった、とまとめられる。

質疑応答では、とりわけ王国維の思想の西洋哲学と中国伝統との距離について議論がなされた。古今東西の交差点である近代中国では、当時の学者たちがいかなる自らの地点から自国の伝統と外来の思想を捉えていたのか、より広い視野から仔細に検討し続けていく必要があるだろう。

報告:丁乙(EAA特任研究員)