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2025.06.09

【報告】第29回 藝文学研究会

202564日、東洋文化研究所EAA本郷オフィスにて、第29回藝文学研究会が開催された。前回に引き続き、「情動論の現在」というテーマで崎濱が提題を行った。前回は川村覚文著『情動、メディア、政治——不確実性の時代のカルチュラル・スタディーズ』(春秋社、2024年)を手引き書とし、「情動」概念の理論的背景について理解を深めた。今回は伊藤守著『情動の社会学——ポストメディア時代における“ミクロ知覚の探求』(青土社、2017年)を導きの書とした。本書は従来のメディア研究における「主知主義」を批判し、「情動」に着目することによって、SNS時代におけるメディア、より具体的にはそうした空間において作動する権力のあり方について、批判的に考察する視座を提示している。

参加者(本報告書執筆者である崎濱、田中有紀氏/東洋文化研究所准教授、柳幹康氏/東洋文化研究所准教授)のいずれも、メディア研究に携わるものではないため、新鮮な学びを得ながらの読書となった。言語学や文化人類学といった領域に端を発する記号論や構造主義がメディア研究の基本的な認識枠組みの基礎に置かれてきたことや、情報を発信する側/情報を受け取る側という権力関係が前提とされてきたこと、また、発信する側にせよ受け取る側にせよ、そこでは理性的で合理的な主体が前提とされてきたことなど、これまでのメディア研究の布置を理解することができた。また、その上で、なぜ「情動」という概念を導入する必要があるのか、福島第一原子力発電所の事故をめぐる一連の出来事や、尖閣諸島の国有化に象徴的に見られるような東アジアの地政学(これは筆者にとってまさに自身の研究に関わる事柄である)、東京2020オリンピックなど、具体的な事例・事象を取り上げながら説得力のある議論を展開する伊藤氏の手捌きから、多くのヒントを得ることができた。

ディスカッションでは主に、本書の議論を踏まえた上で、「情動」という概念を、それぞれの研究にどのように活かすことができるかを検討した。田中氏からは、中国哲学において議論されてきた「音楽」をめぐる言説を、「情動」という観点から新たに読み直す可能性が提示された。沖縄研究、中国哲学、仏教学と、それぞれの専門が全く異なる中で、「情動」を核概念に据えてみたとき、どのような化学反応が生じるのか。そしてそこから共有項としてどのような問いが浮上するのか。現段階においてはまだ期待と不安が入り混じった状態であるが、これもまた協働して領域横断的研究に取り組む際の醍醐味である。今後も定期的に読書会を開催する中で試行錯誤を重ね、少しずつ、その輪郭を明らかにしていきたい。

 

報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)