2025年9月19日、東洋文化研究所大会議室にて藝文学研究会が開催された。第31回目となる今回、園田茂人氏(東洋文化研究所教授)をお招きして「社会科学における『情動論的転回』:アジア学との『接合』を考える」というタイトルでご発表頂いた。
東洋文化研究所でGAS(Global Asian Studies)の運営に携わってこられた園田氏は、EAAが2019年に発足して以来、私たちの活動についてもあたたかく見守り続けてくださってきた。今年度、EAA本郷オフィスは活動の軸に「情動」という概念を据えているが、これも、「EAAの活動が多岐に亘っているのは素晴らしいが、一方で、一つ活動の軸を対外的にも見えやすくする工夫が必要ではないか」という園田氏からのアドバイスあってのことだった。4月から、田中有紀氏(東洋文化研究所准教授)・柳幹康氏(東洋文化研究所准教授)とともに「情動」論に関する読書会を進めてきたが、今回はよりオープンな議論を喚起するために、園田氏にご登壇を依頼した。EAAメンバーだけでなく、東文研所内の先生方や訪問研究者の方々、そして一般参加者の方々が対面・オンラインでご参加くださった。
園田氏の発表は、社会学・経済学・政治学に代表される社会科学というディシプリンが、その誕生以降どのようなダイナミズムを経験してきたかについて、「情動(affect)」および「感情(emotion)」という観点から整理するというものだった。また、その上で「地域研究」とりわけ「アジア学」と社会科学をどのように架橋するかという問題設定も提示された。
社会科学は人文学と比べて客観性をより重視するという特徴がある。そうであるがゆえに、不合理で計算不可能、そして予測不可能なものであるとみなされる「情動(affect)」や「感情(emotion)」は、あまり歓迎されない要素として遠ざけられてきた。
しかし一方で、これらの要素にこそ注目すべきであるとする学説が度々浮上してきたことも確かである。例として園田氏は、社会学におけるE.Goffmanの「ドラマトゥルギー」概念やA.R.Hochschildが提唱した「感情労働」に触れた。また経済学においても、「合理的」判断がなされる前段階において「情動」による取捨選択が実は大きな決定要因として働いていることを重視する議論がなされていることが紹介された。また、政治学や国際関係論の分野においても、例えば外交官や政治家が「合理的」だと見做される(また彼ら・彼女ら自身がそのように自認する)行動の背景にも、情動や感情が大きく影響しているとする議論がなされている。
社会科学におけるこの両極——理性・合理性・計算可能性・予測可能性を重視する立場/感情・情動・計算不可能性・予測不可能性を考慮に含めようとする立場——の調停は、地域研究、とりわけ非西洋地域に関する研究との連携を進める上で、正面から向き合うべき課題であると園田氏は論じた。社会科学とは、普遍性や一般性を求める学問的態度である。有り体に言えば、いつ・どこにおいても通用する理論を構築することを、その使命として背負い、またそれが可能であると自負してきたのが社会科学である。しかし他方で、非西洋地域を調査対象とする場合、その理論が必ずしも当てはまらない、あるいは中途半端にしか当てはまらない「例外」が無数に存在することも確かである。この「例外」たちは、常に社会科学者たちを悩ませてきた。
この悩みを、新たなる立場として昇華させる現象が1970年代以降に生じた。その一例として園田氏は、台湾における社会科学の「中国化」及び「本土化」に言及した。すなわち、西洋に端を発する理論を台湾社会にそのまま適応するのではなく、「中国的社会」そして「台湾的社会」を説明するための個別的な言語・概念を発明するという行為である。日本における「日本文化論」(例えば土居健郎『「甘え」の構造』)の興隆も、同時代的な現象として考えることができるだろう。こうした学問的態度は、「例外」として退けられてきた事例から、新たな「理論」を構想する可能性を提供してきた。だが他方で、全ての事象を説明しうるような一般性を持っているわけではないという点で、生粋の「社会科学者」にとってはなお不満が残るものであるし、場合によっては方法論のナショナリズム化とも言える偏狭性に陥ってしまう危険性も併せ持っている。
では、どのようにすれば、個別の事例を単なる「例外」として退けずに、なおかつ「理論」が持つ普遍主義を簡単に諦めないということが可能なのだろうか。園田氏は、社会科学における「感情」「情動」への着目は、地域研究との接合を考える上で有効であると説く。なぜならこうした態度は、「理論」が持つ暴力性を自省しながら個別性の中に普遍性を見出し、新たな概念を創出する可能性を有しているからだ。
もちろん、それが誰にとって、どのような「可能性」となるのかは未知数である。予測可能性を徹底したい従来の「社会科学者」からすれば、それは眉唾物であるかもしれないし、個別性を重視したい地域研究者からすれば、「理論」や「概念」によって説明しようとする態度は相変わらず「西洋近代中心主義」に見えるかもしれない。しかし、園田氏は「やってみなければわからない」と強調する。その通りだと思う。学問はそのような探究心と好奇心によって切り拓かれてきた。また園田氏は、同じような悩みを持つ研究者同士がネットワークを形成して共同作業する重要性について指摘した(GASやEAAの活動目的は、まさにそのようなところにある)。
園田氏の熱意溢れる発表に対して、フロアから多くの質問やコメントが飛び交い、共に学び思考する楽しさを感じたひとときであった。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)
