2025年10月6日、東京大学東洋文化研究所大会議室にて、第3回となるUIA THE LECTUREが開催された。本シリーズでは、世界の著名な研究者を招聘し、ご自身の研究についてお話頂いている。今回は、ボン大学生命倫理研究センター(Center for Life Ethics)の所長を務めるクリスティアーネ・ウーペン氏(Prof. Christiane Woopen)と、同センターのジェネラル・マネージャー/科学コーディネーターのビョルン・シュミッツ=ルン氏(Dr. Björn Schmitz-Luhn)にご登壇頂いた。
ボン大学生命倫理研究センターは、これまでの人間中心主義的な倫理観を解体し、すべての生きとし生けるものの「共生」について考えることを目的に設立された機関である。具体的には、環境倫理や医療・生命倫理など、すべての生命体に関わることでありながら、同時に非常に複雑な様態をなしている問題群を解きほぐして考えるための手立てを、世界各地の研究協力者とともに構想することが目指されている。

クリスティアーネ・ウーペン氏

ビョルン・シュミッツ=ルン氏
シュミッツ=ルン氏は「生命と法——よりよき惑星的共生のためのルール制定(Life and the Law: Rule-Making for Better Planetary Co-Existence)」、ウーペン氏は「すべての生の繁栄——グローバル・フレームワークとしての生命倫理(The Flourishing of All Life: Life Ethics as a global gramework)」というタイトルで発表を行った。
シュミッツ=ルン氏が提起したのは、気候変動・人権の侵害・移民をめぐる問題・ソーシャルメディアの規制をめぐる問題・課税や開発をめぐる問題など、国家を超えて地球規模で遍在的に生じている諸課題に取り組むために、法のあり方そのものが再考されるべきである、という問いだ。法はもともと神の名において、あるいはその託宣を受けた王の名のもとに制定・施行された。市民革命以降はその権力は世俗化され、「主権」として君臨してきた。主権国家体制を基本とする現在の世界では、国家を超えた問題に対処するために様々な国際的(international、つまり国家=nationを基本単位とする連なり)な機構が創設され、種々の問題に対処してきた。しかし、こうした主権国家を単位とすることにはもはや限界がある。なぜなら現在世界が抱える問題は、国家という枠組みなどお構いなしに発生しているものだし、それがどのように移ろいゆくものなのか、まるで予測不可能なものだからだ。
ウーペン氏は、こうした厄介な問題を、政治学者のブライアン・ヘッド氏(Prof. Brian Head)による議論を参照しながら、「複雑性(Complexity)」「不確実性(Uncertainty)」「価値多様性(Value divergence)」の三つの要素が重なり合う領域である「Wicked(=ひどく厄介でタチの悪い、とでも訳せるだろうか)」に位置するものであると述べた。気候変動について議論するにも、この地球上には人間以外の様々な種が存在している。人間という種に限ってみても、そこには様々な世界観、宗教、生活スタイルが存在しており、それらを全て調停するのは至難の業である。
こうした難題に対処するために、シュミッツ=ルン氏は権力の人々(citizens)への移行を、ウーペン氏は多種多様な生の在り方をまずは共有するところから始めることを提唱した。両者が共通して浮き彫りにしたのは、「代表」をめぐる問題である。これまでの人間中心主義的な視点(しかもそれは、「西洋」に由来する人間観を中心とする物の見方であった)においては、聞き取られること、見届けられることのなかった存在——「西洋」の外部に生きる人々、動物、モノたち等々——が、代表され、現れ出るための方法を構想する必要性を、両者とも強調した。こうした存在は、彼ら・彼女らを代表させる方法をすでに持っている。問題は、すでにそのように現れ出ている存在であり続けてきたにも関わらず、聞き取られず、見届けられてこなかった、ということだ。レクチャーの中では、南米やオーストラリアといった地域に生きる原住民の人々など、こうした種々の方法が実践されている現場に足を運び、その多種多様なあり方を学ぶ、というプロジェクトにも話題が及んだ。
Wickedな問題群に取り組むための方法をあの手この手で模索するお二人の姿勢から、多くを学んだひとときであった。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)
