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2023.08.24

悦びの記#16(2023年8月24日)

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真夏の花絮

 

 9月始めには北京大学を訪れてサマー・インスティテュートを行います。2019年に開催した後は新型コロナウィルス感染症の世界的流行の煽りを受けて、続けて3年間オンラインで実施してきたものです。ようやく今年はこうして本来のかたちで実現する運びとなりました。さまざまな準備も整い、最終的な行程のチェックのために向かった先の駒場オフィスでは、驚いたことにかねてからよく知る中国の研究者にばったり出会いました。いや、より正確には、オフィスのドアを開けるとスタッフがいない代わりに、正面のソファにその夫婦2名が、あたかもわたしの到着を待っていたかのように坐っていたのです。その横には鈴木将久さんがいらっしゃることにもすぐに気づきましたが、それにしても、予定の打ち合わせに数分遅れたために慌て気味にドアを開けたわたしの目に入ったのがこの3人の姿だったというのは、たいへんうれしいアクシデントでした。ちなみに、スタッフは約束の時間が過ぎたので先に別室に行ってしまったあとなのでした。申し訳ありません。

 さて、このお二人は共に中国文学研究者の宋声泉さんと馬勤勤さん。どちらも北京で活躍するすぐれた若い研究者です。この日は鈴木将久さんと研究の打ち合わせだということでしたが、わたし自身のことも忘れて、しばし会話に興じてしまいました。

 東アジア藝文書院は、もともとこうして国を越えてさまざまな人がぶらりと立ち寄ることのできる場所になるはずだったのです。パンデミックで人の流れが阻害されていた時間が長かったのですが、ようやくその本来の姿が実現するようになりました。7月以降だけを取ってみても、海外に留学した修了生や、母国で就職したことを報告に来たかつての指導学生などが、気軽に訪れてくれていますし、イベントのときにも、たまたまその時期に東京に来ていたという理由で来場してくれる海外の学者がよくいます。人づてにイベントのことを聞いてやって来てくれるのです。いずれの場合にも、東アジア藝文書院を続けてきてよかったとつくづく思うものです。

この世界には心配なことが増えてきているのを嫌でも感じざるをえませんが、だからこそ、こうした人の交流は意義深く、わたしたちがここでこうした場を提供できていることは幸せなことです。

なお、タイトルにある「花絮(かじょ)」とはもともとは柳絮のことです。柳は春の終わりごろに白い綿毛を纏った種子を放出します。それが柳絮です。街路樹に柳科の木を多く使う北京ではその季節になると街中で雪のように舞う柳絮を見ることができますので、その街を知る人にとっては愛着の深い風物です。今では「花絮」は、柳絮のことではなく、生活のふとしたこぼれ話を指すことばになりました。花々からこぼれ落ちて空を自由に舞い、次の生命を胚胎する花絮。それをこのような意味で使うのはちょっと美しいことですね。

東アジア藝文書院がつねに花絮の舞う場所であることを願って。

石井剛(EAA院長/総合文化研究科)