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2025.11.27

悦びの記#34(2025年11月17日)

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学問は友のために

 2022年度から、わたしたちは潮田総合学芸知イニシアティヴ(UIA)という寄附プロジェクトを始めています。潮田洋一郎氏からのご寄付を得て、東アジアの学芸の伝統と現代を架橋する新しい知の創出を目指すプロジェクトです。これは、プロジェクトの具体的な実施部門として新たに設けたリサーチ・ユニットの「藝文学」ユニットが主に担っています。東洋文化研究所に所属する柳幹康さんと田中有紀さんを中心に、同じく東文研の塚本麿充さんや、前院長で現在は東文研所長を務め、プロジェクト発足に際しても中心的な役割を果たした中島隆博さんらが積極的に関わりながら、今年で4年目に入りました。

 このプロジェクトが始まったおかげで、これまでまったく縁のなかった東アジアの文人伝統に触れる機会が増えたのは、わたしにとって新しい研究の方向を開く決定的と言ってもいいほど重要なきっかけとなりました。これまでのおよそ10年間——特にIHSで「四川-福島ワークショップ」を行って以来——に取り組んできた「文の場の哲学」が、この2月に台湾の出版社によって『尋找黑暗之光:現代知識分子的挑戰』という書籍の一部として刊行されることで一応の完成を見た後に取り組むべき仕事の構想が、このプロジェクトによって明確になったと感じています。

 「文人」ということばによって喚起される「人」のイメージは決して一様ではありません。中国には文人画の伝統がありますが、そこで文人と言われるのは、基本的に士大夫として中央集権的な王朝体制を支える立場に就くための客観的な条件を具えている人のことを指しています。具体的には、科挙を通じて官僚の道を歩んでいく人、実際に官僚として活躍している人、そして官職を辞して隠遁的な生活をする人などがイメージされます。したがって、高いレベルで国家の標準に適合した知性と教養を身につけた人が、余技として詩作や書画を行うのが文人の芸術であると一応は言えるでしょう。一方、日本には科挙制度があったためしはありません。しかし、江戸時代には、中国から伝来した芸術作品を愛でる文化が、茶の湯や禅などと融合しながら大いに栄えました。そういうところから日本ならではの文人的芸術、文人的生活が育まれてきたのです。

 わたしは「文人」つまり「文の人」とは、つまるところ、人が人として知的にも倫理的にも成長していくプロセスを歩んでいる人という意味でとらえればいいのだろうと思っています。したがって、あらゆる人は皆「文人」としてのポテンシャルを蔵していると考えるべきであり、またしたがって、人がよりよき人としての修養の道を歩くことは、「文」をよりよくする人——「文人」になっていくことだということになります。芸術、つまり、アートはテクネー(技術知)を語源としていますが、芸としての技術には礼楽も含まれるというのが中国人文学における基本的な理解です。「文」をよりよくする人にとっての技法こそがアートであると言えるでしょう。

 「文」の技法としてのアートのなかに礼楽が含まれるということにおいて、「感性の学」としての美学aestheticsは現れます。「文の場の哲学」として、共生の倫理における「文」の意味を考察した後にわたしが考えたいのは、中国哲学の文脈において共生の美学的基礎をどのように論じることができるか、とりわけ、清代思想史の中でどのように論じられるかという問題です。なぜなら、そこにはヨーロッパに継起するように、しかも、ヨーロッパとは異なる思想的文脈の中から生まれてきた近代的啓蒙の思想が見出されるからです。わたしはそれに「礼義啓蒙」という名を与えようとしています。文人書画の清代における発展は、それを考えるために重要なヒントを与えてくれるでしょうし、この問題に着目することは、文人伝統を歴史的に共有してきた東アジアにおける美学的ダイナミズムにも同時に眼を開かせることにもつながります。その先には、テクノロジーの時代における「新しい人」についての想像が広がっていくことでしょう。

 さて、このたびはUIAプロジェクトが2023年から毎年行ってきた「文人と芸術」の第3回目として、広州の中山大学人文高等研究院に招かれました。11月6日から10日までのことです。東京はすでに最高気温が20度を下回るようになっていましたが、広州は連日30度近くになりました。広州は湿気も多いのですが、この時期はからりとしていましたので、快適な暑さの中で過ごすことができました。正味三日間の活動はきわめて濃密なもので、それ自体が驚くべきものでしたが、何よりもわたしにとって望外の喜びだったのは、第1回目からずっと中国側でこの活動を熱烈に推進してくれている渠敬東さん、曹家斉さん(今回の中山大学開催の責任者です)、朱天曙さんのほかにも、古くからお世話になってきた先生方が参加してくださったことです。ある意味で、わたしの研究者としての原点をたどる記念碑的な数日でもありました。

 わたしたちは、大学に身を置く職業研究者として、制度的要請に応じながら学術生産活動を行っています。それが大学での研究であり、教育であり、さらにはこの両者を支えるための行政的業務であると言えます。それは、大学が公共的機関として制度的に定義され、位置づけられているからです。日本ではこうした制度は近代的に確立しましたが、中国においては歴史が長く、文人伝統もそのなかで育まれてきました。しかし、ただ公共的機関に身を置いて学問を行うだけでは文人にはなりません。文人の芸術は究極のアマチュアリズムとして、公共的身分の余白において表出するものです。それは必ずしも公共的身分と矛盾したり衝突するものではありませんが、つねにそうした身分からはみ出す余剰において発揮されるものです。数値化された能力を基準にした競争と選抜によって維持されるようになった現代的制度において、余剰は不問にされるだけではなく、合理化という名目のもとで排除されていくようになります。しかし、そうして合理化され、官僚化される社会の現実においてこそ、余剰の意義は益々重要になっているのです。まさにこれこそが美学的問題であり、したがって、文人とは、とりわけ、士大夫的伝統に支えられた中国の文人とは、技術的合理化の趨勢に対する批判の契機を体現する存在であるということになります。

 では、その余剰とは何か。一言でいえば、それは「友情」に尽きるでしょう。『論語』顔淵篇に「君子は文を以て友に会す」とあります。「文の人」とはつまるところ、友と共にある人、ということを意味します。その友情は必ずしも、現実に時と場を共にしている人との間にのみ成り立つものではありませんし、ましてや、日本社会の中で当たり前のように使われる「友だち」の意味ではありません。それは、善なるものを求める点において人生の目標を共有し、他者との関わりにおいて「信」に基準を置く人同士の関係であり、書物などに描かれた過去の人すらも友たりえます。『孟子』において、古に求める友のことを「尚友」と呼んでいるのがそれです。この「尚友」の境地においては、もはや自らが生きている現実の中に友がいるかどうかは問題となりません。文人が求める「自娯」はこの「尚友」に通じるものであろうとわたしは理解しています。

 学問は制度である——。この点を否定するつもりはわたしには毛頭ありません。制度なしにわたしたちは秩序と理性に支えられながら自由な生活を安心して営むことはできないにちがいないからです。隠遁することだけが文人の生き方でないのと同じことです。しかし、制度がよき制度、人を助ける制度であるために、学問はその余剰において真価を発揮すべきであることをわたしたちは知らねばなりません。

 広州に到着した晩の食事の席で渠敬東さんが言った一言がわたしには忘れられません。それは、「学問は友のためにするものだ」という一言でした。潮田洋一郎さんとの出会いによって可能になったこの「文人と芸術」という活動こそは、この一言を引き出すきっかけに外なりませんでした。潮田さんからのご支援に、この場を借りて改めて感謝いたします。

石井剛(EAA院長/総合文化研究科)