広州は中山大学での交流活動、二日目はキャンパスを離れて郊外の塱頭村を訪れました。ここは以前からわたしも訪れたかった場所でしたので、中山大学のアレンジはたいへんありがたいことでした。
なぜここを訪れたかったのか、その理由は大きく三つあります。一つ目は、農村を訪れたいという長年来の変わらぬ興味です。もともとわたしは内蒙古の農村に住んでいましたが、中国の農村についてわたしがかろうじて「知っている」と言えそうなことがあるとすれば、それは内蒙古の農村しかありません。この二十数年で都市化が急速に進んだとは言え、中国は今でも人口の半分以上が農民であり、わたしのような外国人がふつう訪れる場所は、ごくごく限られた大都会ばかりです。それでは中国を見ていないも同然です。まして、内蒙古から中国像を形成するようになったわたしにとって、南方の農村は別世界にほかなりませんから、自ずと興味は高まります。
二つ目は、中山大学が塱頭村でたいへん興味深い活動を展開していることを聞いていたからです。前回のブログでも紹介したとおり、中山大学には、歴史学と人類学を融合した華南学派と呼ばれる研究の伝統があります。彼らの強みは華南地域に対する豊かなフィールドワークを積み重ねている点にあります。おそらくその延長に発展したものなのでしょう、塱頭村を拠点としたサマープログラムが今年中山大学の主催で開催されました。これは、海外からの学生と中国国内の学生数十名が塱頭村に滞在しながら、英語を使って『論語』や『荘子』、『史記』のような中国の古典を講読するというものです。農業実習も含む生活体験を組み込みながら3週間にわたって行われるという驚くべきプログラムで、本学からも参加者がいました。主催している中山大学博雅学院は、中国型リベラルアーツ学部の草分けとも言えるユニークな学部です。新しい学問がここで胎動しているというわけです。
三つ目に、このサマープログラムのことを知ったことで調べてみてわかったことなのですが、塱頭村にはみごとなアートスペースがあって、そこが学術文化交流の拠点となり、中山大学と共に研究イベントを含むさまざまな活動が行われていることです。春陽台と呼ばれるこのスペースは、張永和(Yung Ho Chang)という世界的な建築家によって設計されています。この記事をご覧の皆さんも、ぜひハイパーリンクから春陽台のようすをのぞいてみてください。
広州市内の中山大学キャンパスから車でわずか1時間ほどの郊外にある塱頭村は、600年以上の歴史を持ち、明清時代の家屋群をそのまま残しています。改革開放期の経済発展は全国各地で農村住民の都会への移動を促し、こうした村落の多くは人口の過疎化が著しく進行していきました。そうした村は「空心村」と呼ばれるのだそうですが、塱頭村もそうした村落の一つです。近年、塱頭村では「空心」化した村の振興のために、ここを文化・観光拠点として再整備するプロジェクトが民間の慈善家によって開始され、住む人のいなくなった住居を博物館として修復すると共に、村の一部をホテルへとリノベーションしています。春陽台もその一貫として建設されたようです。村の一部を提供することによって村民は収益を得ることになるでしょうし、ここを訪れる観光客は、かつて繁栄した農村文化を追体験することができます。特に後者については、土地改革に始まる数十年の急速な社会主義建設の結果、一度は崩壊の危機に瀕した農村コミュニティの習俗や信仰を復元して保存するという社会効果を無視することはできないでしょう。体験型の文化消費が流行するのは21世紀の資本主義の特徴であり、塱頭村の開発もその一例であることはまちがいありません。しかし、中国固有の歴史的文脈に位置づけてみた場合、こうした産業が新たな社会的想像力の涵養に寄与していくことはまちがいありません。ここを訪れる人はノスタルジーでは回収できない中国文明の歴史の奥行きに触れることになるはずです。それは今日の社会を生きる人々にとっては、古いがゆえに斬新な生活文化の標本なのです。わたしたちもかつての農家をリノベーションしたホテルに一泊しましたが、客室には儒学の重要な古典である『中庸』の古い線装本がさりげなく展示されているなど、明清時代に塱頭村の文化を支えていた教養のアイテムが、村全体に散りばめられていました。それらのひとつひとつが複合的に組み上がって構成される塱頭村の立体的イメージは、急速な経済発展を遂げた後にどのような社会を目指すのかを考えるためのヒントを提示しているのだということができます。

塱頭村で見たことは、わたしが知っている農村とはまったく異なる風景と文化のありようでしたし、そこで体験したことは、わたしの身体が知っている農村生活とは似ても似つかぬものでありました。その大きなちがいは、もとより地域のちがいによるものでもあるでしょうが、わたしが沙漠のただなかにある内蒙古の農村にいたころから今日までの30年の時間に生じた中国の社会経済変革の巨大さをまざまざと見せつけるものでした。
豊かな中国には学ぶべきことが尽きぬほどあります。
石井剛(EAA院長/総合文化研究科)