「逸民」と東アジアの美学的共同体
ここのところ数回にわたって、11月の始めに広州を訪れたときのことについて書いてきました(第34回、第35回、第36回)。今回はその最終回としたいと思います。すでに触れているように、この広州出張は「文人と芸術」をテーマとする研究交流プロジェクトです。「文人」というある種特異な生き方には、「東アジアからの新しいリベラルアーツ」を構想するわたしたちにとって有益なヒントがたくさんつまっているのですが、「文人」的生き方は、東アジアの伝統の中でしばしば「逸民」たる生き方と分かちがたく結びつきます。
『論語』泰伯篇には「危邦不入、乱邦不居」(危うい国にはおもむかず、乱れた国にはとどまらない)ということばがありますが、国の政治が道義を失った場合、士大夫たる者はその国を敢えて離れることによって、普遍的にただしきものを守るべきであるという考えが、中国古典の世界を貫いています。そして、「逸民」とは、まさにそのような道義の守護者として現実の政治から離れて隠棲する文人のことを意味しています。同じく『論語』に「興滅国、継絶世、挙逸民、天下之民帰心焉」(滅びた国を再興し、絶えた世を継承し、逸民を抜擢すれば、天下の人びとの心は帰順する)とあるように(『論語』尭曰篇)、ひとたび国が改まれば、そのときにこそ理想の道を一身に保存していた逸民の存在は新しい世の民本的基礎を確立するために重要な役割を発揮することになります。
文人がすなわち逸民であるというのは端的に誤りです。文人とは、世がまともな政治社会であれば士大夫として国を牽引し、暴虐と混乱に満ちた世界の中では、なおも道義を守り続けるためにやむをえず逸民として生きていくことを厭わない人々であると理解すべきでしょう。彼らは失意の退隠的な生活の中でなおも希望をつなぐために、山水に理想を託し、花鳥の美しさに生の悦びを見出します。『後漢書』には「逸民列伝」なる章が設けられていますが、その中に描かれる梁鴻という人は、妻を伴って山中に隠棲し、耕作と機織りで自活する一方、詩書を読み、琴を弾じて「自娯」、つまり自らたのしんだとされます。わたしたちは、そのような「自娯」の精神を、例えば明朝の滅亡後に遺民として隠逸の生活を送りながら、数々のすばらしい書画を後世に遺した八大山人の画風にも見いだせるでしょう。
こうした文人の生き方は、江戸時代の日本では豊かな町人たちの愛でるところとなり、文会として茶を飲みながら、遠き唐土の文人生活に思いを馳せる文化が発達したのだと、当時の文人茶の流儀を今日に伝える佃一輝宗匠は述べています(佃一輝『茶と日本人』)。佃さんによると、文人茶もまた、逸民ならではの「自娯」の精神を最も大切にしているのだそうです。
実は、今回の道中では、中山大学の歴史学者で今回の活動の主催者でもあった曹家斉さんと「逸民」概念をめぐるちょっとした議論がありました。科挙のようなメリトクラシーに基づく国家の官僚制度がなく、したがって文人を士大夫伝統と結びつける社会的背景をもたない日本において、「逸民」は存在するのだろうかという曹さんの疑問に発する議論です。

「文人」と「山水」をめぐるラウンドテーブル討論(広州の栄宝斎にて)
この疑問に対して、残念ながらわたしには学問的な見地からお答えする力がまだないのですが、仮に、日本が中国とは異なる政治システム、官僚システムをもっているとして(実際そうなのですが)、両者が無関係に独立した二つのシステムであったと考えるのではなく、より大きな文明システム(わたしはこれを「漢華圏 Sinosphere」と呼んでみたことがあります)のもとで相補的な関係を構成するサブシステム同士だと考えてみるのがよいだろうと最近思います。そして、その大きな文明システムを前提として、逸民の存在を許す空間——これはある種の「隙間」、わたしのことばで言えば「文の間隙」です——の多元的かつダイナミックな生成の可能性を想像してみるのです。
そのような想像は、東アジアにおける美学的共同体の形成の歴史にわたしたちの眼を開かせるでしょうし、さらには近代的な国際関係とは異なる、何か別の政治の可能性を見出すヒントになるのではないか——。そういうことを、この「文人と芸術」プロジェクトを通じてわたしは考えるようになりました。
日本と中国、そして東アジア各地の研究者たちが対等な関係で相互に礼節を保った学問の友情を温めていくことができるようになったのは、この地域の長い歴史の中でも稀に見る悦ばしい現実であるにちがいありません。少なくともこれは、近代以降の不幸な歴史を経た上でようやくたどり着いた一つの尊い到達点であると言えるでしょう。この関係は、さらに新しい人文(humanities)の創造へ向かって、次世代の若い方々を誘うものになっていく必要があります。「文人と芸術」プロジェクトがひらいた「文人空間」がそのためのプラットフォームとして機能していくためにも、もう少しこのプロジェクトが続いていくことを願っています。
石井剛(EAA院長/総合文化研究科)