2019 Sセメスター 第2回学術フロンティア講義

2019年4月19日、学術フロンティア講義「30年後の世界へ―リベラル・アーツとしての東アジア学を構想する」の第2回目の講義が行われた。今回の講義の題目は、「30年後の世界のための世界史」で、担当の先生は東アジア藝文書院院長でもある羽田正氏(東京大学副学長)だった。フロアの学生も積極的に参入し、活発の議論が行われた講義となった。

冒頭では、30年後を考えるために30年前の世界を顧みるということで、羽田氏は、昭和天皇の崩御やベルリン壁の崩壊などの国内、国外の大事件をはじめ、ご自身のフランス留学の経験をも紹介した。現在の世界が30年前の世界からどのように大きく変化したのかを認識した上で、これから30年の世界はまたどのように展開していくのだろうかと、考えさせられる話であった。

現在我々が生きている世界はどのような特徴を有するか。羽田氏は、主権国家体制のゆらぎ、「世界」という新しい公共空間の出現、科学技術の新局面、という三点を挙げた。グローバル化が進むにつれて、政治や、経済、科学技術など様々の面において変化・変容が起こり、我々は数々の新しい課題に直面している。

人々は、世界を認識し、自分と世界の関わりを理解するために世界史を学んでいる。しかし、現行の世界史の枠組みと、先ほど紹介した現代の実情との間には、ずれが生じているのではないか。現代日本における一般的な世界史理解は未だ異なったいくつかの文明世界、ないし国家の時系列に沿った歴史を束にして、ひもで縛ったようなものである。世界は異なった複数の部分から構成されており、それぞれ異なった歴史を持っている。また、その中でも「ヨーロッパ」とそこから生まれた諸国家が他国に比べて優位にあり、実質的に世界史を動かしてきた。

この現行世界史の「暗黙知」は、ヨーロッパ中心史観に基づく20世紀半ば頃の世界の実情に対応した過去の見方であり、そこでは、国、あるいは地域を単位とし、「自」と「他」を区別して歴史を解釈しようとするものである。この過去の見方は現在でもなお有効だろうか。羽田氏は、自(自国)と他(他国)を峻別する世界史観だけに基づく判断と行動は、グローバル化が進む世界では必ずしも有効ではなく、人々が新しい公共空間である「地球」に帰属しているという意識を持つことが重要と主張する。そのために現代世界の実情に合う新しい世界史を創出すべきではないかと提唱している。新しい世界史は、「地球の住民」というアイデンディティの形成に資するとともに、「中心」史観から脱して、複数の人間集団や地域間における関係性やつがなりを発見するものであるべきだと述べた。新しい世界史を描く方法としては、ある時期の世界全体の見取り図を描く、時系列史にこだわらない、様々な地域や人間集団の横のつながりを意識することを提起した。

さらに、羽田氏は、新しい世界史を研究するにあたって、国際交流が極めて重要な場であり、学ぶことが多かったことを述べた。「新しい世界史/ グローバル・ヒストリー共同研究拠点の構築」(Global History Collaborative)をはじめとする研究事業を紹介し、ご自身がメキシコ、中国、シンガポールなど様々の国や地域で行った研究活動についても語った。これらの国際共同研究から、異なる言語による複数の知の体系が存在し、研究者の立ち位置が異なると実感し、相手の意見とその背景を理解するとともに、自分の意見とその背景を理解してもらうことで、「徹底討論」することが重要であるとの認識に至った。

 

フロアの学生からは積極的な質問や意見が提起された。「歴史学は主権国家と切り離せないのではないか」との質問に対して、羽田氏は、現状の限りではそうであると認めた上で、全てシェアする必要はなく、根底で「地球の住民」との認識を共有できれば良いと主張した。それこそ現在にふさわしい過去の見方であると述べた。また、「人間」を中心とする歴史叙述に対して疑念を抱く意見に対する回答として、羽田氏は、もっと長いタイムスパンなどを取り扱うビッグヒストリー(Big History)について紹介した。

新しい世界史の方法によって、どのような新しい問題を提起できるか、そして、現行の歴史叙述に対して、どのように新しい理解をもたらすか。羽田氏は、一つの例として、1550〜1650年の日本史を取り上げた。一般的な日本史の理解においては、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての時期は、中世から近世に転換する段階とされ、信長や秀吉による「天下」統一や、朝鮮侵攻、ポルトガル人とイエズス会の来航、関ヶ原の合戦と江戸幕府の成立、「鎖国」などのキーワードで語られる。しかし、同時代の世界に目を広げると、例えばヨーロッパでは宗教改革が展開され、スペインやポルトガルが海外に進出し、東インド会社が設立され、また南北アメリカでは銀山が発見され、キリスト教の布教とともに植民地化が進展し、さらに東南アジアでは商業が発展するなどの局面が確認できる。同時代の世界を視野に入れると、従来の日本史における理解に対して、新たな問題提起ができる。例えば、信長や秀吉にとって「日本」や「天下」とは何であったか、当時のポルトガル人とは誰のことか、などが挙げられる。また、横のつがなりを重視することで、徳川政権の平和な時期の背後に存在する要素や、「鎖国」が東アジア、東南アジアないしヨーロッパにもたらした影響もはっきりと見えてくる。

 

学生からは、新しい世界史の必要性を認識した一方、研究における新しい世界史観を教育現場にどう導入するかという質問があり、高等学校の教育における普及に期待が示された。また、「新しい世界史を構築する権利は誰にあるか、全ての人が平等に参加できるか、政治家に利用されないようにどうすべきか」などといった、クリティカルな意見もあった。

最後に、本講義のコーディネーターである石井剛氏(東京大学総合文化研究科)から「世界史を研究する」とは「歴史を作る」ことであって、作っていく過程が重要であるとのコメントがあり、今回の講義が締めくくられた。

 

報告者:王雯璐(EAAリサーチ・アシスタント)

 

学生からのコメントペーパー

アメリカ合衆国でアメリカ史と世界史を学んだ私ですが、自分の母語は日本語であり、日本人の両親から彼らの歴史観に触れながら育ったことから、学校で学ぶ「アメリカ中心」の歴史と自分が家庭で聞いていた日本視点の歴史や国際政治史とのギャップにとまどうことがしばしばありました。先生が提案する「世界に帰属する人々」という意識に基づいた歴史はとても興味深いですし、私のように国籍や言語が越境している人々に居場所を与えてくれる歴史なのだろうという希望も抱けます。一方、実際にこの新しい歴史観を育てていくにおいて、歴史認識が異なる集団の間での衝突が起こると考えます。そして、このような衝突は、日韓・日中の対立のように国家など同レベルの権力をもつ主体同士だけでなく、国家の政府対抑圧されている市民やマイノリティのように、圧倒的な力の差がある主体の間での対立も予想されます。このような状況のもとで、主体同士の討論や妥協がどのようになされ、排他的ではない、よりinclusiveな歴史を導き出せる方法を検討したいです。(文Ⅰ・1年)

自分の考えでは、現在はグローバル化が進み、たしかに国民国家の存在が薄れてきてはいるものの、次にどういった時代になるかを見通すには難しい時代だと思います。国民は虚構にすぎませんが、その虚構が崩壊した先に何が存在するのかが今はまだ分かりません。そうした人間存在のあり方がおぼろげにでも見えてくるときにならなくては、「新しい世界」をつくり上げるのは難しいのかな、というふうに感じました。(文Ⅲ・1年)

社会において、AIが物事を行う範囲が拡大していくと予想されている中で、歴史、広くは教育のあり方が劇的に変化する可能性をどう検討していくべきかと思います。(文Ⅰ・1年)

確かに、主権国家体制に染まった世界史は良くないが、だからといって新しい世界史とされるグローバルな、地球人としての世界史が素晴らしいとは思えない。今グローバル化しているからグローバルな世界史を考えろというのでは、30年後には、おかしいと言われるだろう。その方法では、独裁者の時代には、独裁者を素晴らしいとする世界史になりはしないだろうか。だからと言って、他に選択技があるのかも分からないが、現状に合わせた歴史の解釈をするのは、時として危険ではないかと思う。(文Ⅰ・1年)

歴史における事実はほんとうに一つなのか(文Ⅲ・2年)

神の視点を持てない人間がどう歴史を書くか、「唯一の正解がない」歴史をひとつにまとめるなんて不可能ではないですか(文II・1年)