国際シンポジウム「イスラーム世界を見る視線の交錯 ——日本とフランスの対話」

2019年10月16日、東京大学駒場キャンパス数理科学研究科大講義室にて、国際シンポジウム「イスラーム世界を見る視線の交錯——日本とフランスの対話」が開催された。本シンポジウムは、伊達聖伸氏(東京大学准教授)の企画に基づく東京大学東アジア藝文書院(EAA)のイベントであり、鵜飼哲氏(一橋大学特任教授)が司会を務め、アブデヌール・ビダール氏(フランス国民教育省・高等研究実習院)、中田考氏(同志社大学客員フェロー)、池内恵氏(東京大学教授)がパネリストとして登壇した。

 

本シンポジウムの趣旨は、2014年に『イスラーム世界への公開書簡』を発表したフランスのムスリム哲学者ビダール氏の問題提起に対して、イスラーム神学者の中田氏と中東地域研究者の池内氏が応答するというかたちで、イスラーム世界の過去と現在と未来について議論することであった。結果として、本シンポジウムでは、異なる背景をもつ三人のパネリストが、イスラーム世界について独自の見解を披瀝することになった。本報告では以下、三者の議論を順に要約する。

最初のパネリストはビダール氏である。ビダール氏の議論の第一の特徴は、イスラーム世界と西洋世界の両方に批判的な眼差しを向けていることにある。ビダール氏によれば、一方のイスラーム世界は、「イスラーム国」をみずからと無関係のものと捉える保身的態度から抜けだし、それがみずからの内部から生まれた病であることを反省的に受けとめるべきであり、他方の西洋世界は、世俗主義の普及とともに忘却してしまった宗教的なものの重要性を再認識すべきである。
ビダール氏の議論の第二の特徴は、現代に即した新しいイスラームのあり方を提示していることにある。ビダール氏はそのイスラームのあり方を「セルフ・イスラーム」と呼ぶ。それは「内側から出発する、つまり内在的で内面的で個人的な超越から出発する、生きられたイスラーム」である。さらに、ビダール氏によれば、この「セルフ・イスラーム」は、人間を袋小路に追い詰めてしまった西洋近代的な個人主義的ではない。それは、万人が差異への権利をもつ、内的多様性に開かれたムスリム共同体のイメージを伴っているという。
二番目のパネリストは中田氏である。まず、中田氏は日本人ムスリムとして、中東のイスラームを日本の仏教に喩えた。大多数の日本人は仏教徒とされるが、釈迦の教えに従って日々生活しているわけではない。中田氏によれば、中東のイスラームも日本の仏教のようなものであり、中東の社会現象をイスラームだけで説明することは難しいという。こう指摘すると同時に、中田氏はイスラーム神学者として、そうした現在のイスラームは「末法」状態にあるという批判的な見方を示した。
また、中田氏は、「イスラーム国」がイスラーム世界の内部から生じたというビダール氏の認識を共有しつつも、「イスラーム国」が「怪物(リヴァイアサン)」であるとするならば、西欧の領域国民国家もまた「怪物」であると論じた。中田氏によれば、西洋世界が中東難民の受入れを拒否するなか、「イスラーム国」は「移動の自由」という最も基本的な権利を保障することで、西洋世界が「民族主義(ナショナリズム)」や「国家崇拝」に陥っている事実、西洋世界が人権や民主主義という大義名分を掲げることの欺瞞を暴露した。
最後のパネリストは、池内氏である。池内氏は、グローバル化の進展とメディアの変容という二つの観点からイスラーム世界を分析した。第一に、池内氏によれば、グローバル化の歴史は二段階に区別できる。グローバル化の第一段階では、世俗的な西洋世界の規範が、イスラーム世界に一方的に輸出されていた。しかし、グローバル化がさらに進んだ現代、グローバル化の第二段階では、イスラーム世界の方も、西洋世界に影響を与えることができるようになっているという。
第二に、池内氏によれば、イスラーム史はメディアの観点から三段階に区別できる。前近代では教説が口承により伝達されていたのに対し、近代では印刷技術と教育の発達により教説と伝達手段が多様化する。さらに、現代ではインターネットの普及により、解釈者の多元化が飛躍的に進んでいる。これはたしかに「民主化」にみえるかもしれないが、実際には、より多くの人びとに求められる教説だけが、その質を保障されないまま流通する状況を生んでいるという。

その後の討議では、大きく二つの論点について議論がなされた。ひとつは、イスラームのスピリチュアリティという論点である。ビダール氏は、西洋世界の霊的危機への解決策として、スーフィズムに期待している。しかし、池内氏によれば、たしかにイスラーム内部には、スーフィズムのように西洋の価値観と相性のよいスピリチュアリティがあるものの、あくまで周縁的な存在なので、スーフィズムに注目しても、中心部の律法主義的なムスリムとの対話には繋がりにくい。
もうひとつは、中東社会における自由という論点である。池内氏は、中東世界にはまったく自由がないという誤解に警鐘を鳴らした。中東にはたしかに政治的自由は少ないものの、現実には、中東世界の人びとは絶対的な神への信頼を抱きつつ、自由かつ伸びやかに暮らしている。それゆえ、西洋の価値観に照らして中東の人びとに自由を教える必要はないのではないか、と池内氏は述べた。これに対してビダール氏は、中東では女性とマイノリティの自由が保障されていないことを指摘して、中東世界で自由が保障されているという考えには留保が必要であるという見方を示した。

田中浩喜(東京大学大学院博士課程)