Winter Institute 2020 at NYU-Report 2

会議二日目は前日と同じ建物のコロキアムルームで開催された。

中島隆博氏(東京大学)は、冒頭で沖縄の首里城焼失に触れつつ、沖縄の問題が今回の会議のテーマである現代のアイデンティティの問題に対して重要な視座を含んでいることを述べ、“Okinawa in the Eyes of Ōta Masahide”と題した発表を始めた。中島氏は、1990~1998年に沖縄県知事を務めた大田昌秀氏を取り上げ、当時の沖縄の政治的背景を説明しながら、沖縄の哲学者である伊波普猷の思想を太田がいかに解釈し、そこから「国家アイデンティティ」と「文化アイデンティティ」と、未来への視点を導き出したのかについて論じた。ディスカッサントのAnnmaria Shimabuku(ニューヨーク大学)は、沖縄におけるアメリカの基地問題と経済的状況、今日までの歴史について紹介し、沖縄の複雑性とコスモポリタンとしての特性を指摘した。会場の参加者との質疑では、沖縄とアメリカの関係を今日の香港問題とも比較しうるという意見や、香港、台湾、沖縄、済州、グアムなどの中心とは離れた小さな地域が持つアイデンティティを参照することの可能性について、活発な議論が繰り広げられた。


次に、Natian Emmerich氏(ANU)による“Expertise and the Claims of Lived Experience”の発表では、我々のアイデンティティが現象学において語られる「生きられた経験」(Lived Experience)が専門知識といかに関係しうるのかについて、現代の技術発展や医療現場での調査をもとに知識獲得の問題を論じられた。ディスカッサントのZakir Paul氏(NYU)は、サッカー選手の例を挙げながら、経験がいかに技術となるのか、習慣と倫理の関連についてコメントし、それを受けて会場からも習慣が文化を生み出し、それを体現しているアメリカあるいはニューヨークについて議論が深められた。


短い休憩を挟んで、Yoon Jeong Oh氏 (NYU) が“Cosmopolitan Dilemmas and/or Diasporic Subjects in Younghill Kang’s East Goes West”について発表した。Oh氏は日本の植民地支配に対する反対運動に参加し、その後アメリカに移住した韓国人小説家作家の作品を取り上げ、そこにカントやデリダが論じたコスモポリタニズムが見いだされると指摘した。ディスカッサントの王欽氏(東京大学)はデリダのHospitalityが「法」を必要とするものであること、またHospitalityについて柄谷行人が重要な制度的な見解を示していることを補足した。会場からの質問として、マルクス・ガブリエル氏(ボン大学/ニューヨーク大学)がカントの「コスモポリタン」はドイツの市民社会に関して取り上げられる概念であり、デリダや現代の「コスモポリタン」とは異なる文脈であることを指摘した。


武田将明氏(東京大学)の発表“Kicking Away the Gold Coins: Ōtsuka Hisao’s Reading of Robinson Crusoe and the Human Archetype of Post-War Japan”では、経済学者大塚久雄がロビンソン・クルーソーに資本主義の「人間類型」を見出したのかを、Daniel Defoeの『ロビンソン・クルーソー』およびJoachim Heinrich Campeの『The New Robinson Crusoe』と比較検討して明示した。ディスカッサントのJohn Y. Zou氏(北京大学/重慶大学)は大塚とMax Weberの解釈の親近性に触れた上で、大塚の議論と国家資本主義とがいかに協調しうるのかについて問いかけた。会場との質疑では戦前の日本の植民地主義の文脈、フーコーの市場空間、グローバル貿易との問題など、多岐に渡る議論が行われ、活況の内に午前中のセッションが終えられた。

報告者:八幡さくら(EAA 特任助教)