Winter Institute 2020 at NYU-Report 3

会議三日目は19 University PlaceのThe Great Roomで行われた。最初の発表者Annmaria Shimabuku氏(NYU)による、“The Female Voice as Trace: The Intertextual Odyssey of the 18th Century Ryukyuan Poetess Unna Nabi throughout the Chinese, Yamato, and American Worlds”では、琉球王国の歴史に触れながら、18世紀の女性詩人「ウンナ ナビィ」による詩から現代の作家である崎山多美『Swaging, Swinging』までに連なる沖縄の女性問題を論じた。ディスカッサントのMark Kenny氏(ANU)は、沖縄のアイデンティティの独自性について賛成し、オーストラリアの政治的状況と比較しつつ、文化とアイデンティティ形成のために時間が必要であることを強調した。中島隆博氏(東京大学)は伊波による琉球の起源を詩に求めた試みの背景に触れた上で、それが近大において無視されてきた万葉集と重ね合わせられる理由を説明し、ナビィの詩がいかに政治的権力によって適切化されたのかと質問した。ほかにも参加者との間で、言語学的観点からの質問や万葉集における女性の詩についても議論が行われた。

Carolyn Strange氏(ANU)の発表“Identifying Victims of Violence by Gender: Historical Constructions and Future Considerations”では、家庭内暴力の問題に関する19世紀の様々な文献から男性と女性の表象について分析し、オーストラリアの事例を紹介した。ディスカッサントのUlrich Bear氏(NYU)は、認識論的観点から、名前をつけることによって、その名前と実際の世界における実存や現状と乖離してしまうという危険性を指摘した。羽田正氏はグローバル・ヒストリーの観点から19世紀における地域理解について問題を指摘した。


王欽氏(UT)は“The Rhetoric of Carl Schmitt’s “Forward” to The Nomos of the Earth”というタイトルで、今日の地政学の問題に関わるカール・シュミッツの『大地のノモス』(1950)を取り上げ、その「ノモス」概念が意味するところを、シュミッツがゲーテの詩をいかに読み違えたかを両者のテキストを比較検討しながら検証した。ディスカッサントのMarks Gabriel氏(ボン大学/NYU)は、まずシュミッツとハイデッガーの関係について紹介し、近年のハイデッガー研究によって明らかになりつつあるその哲学者の実像に対して警鐘を鳴らした。さらにゲーテの詩とシュミッツの読み替えの両者に関係するドイツ語の言語、例えば、「earth」という語が「ガイア」と関係することなどを指摘しながら、シュミッツの読み替えの意義について議論を膨らませた。会場の参加者が様々な観点から質疑に参加し、活気ある議論が繰り広げられた。


John Y. Zou氏(ICCT-PKU/Chongqing Univ.)の発表では、“Richard’s Proverbial Horselessness: The Person of State and Politico-Cultural Transformation on the Shakespearean Stage”と題して、シェイクスピアの『リチャードIII世』における「馬」の表象の問題を論じた。ディスカッサントのAvital Ronell氏は(NYU)はJohn Y. Zou氏との思い出に触れながら、シェイクスピアの演劇のみならず劇や文学における個々の表象について、様々な引用を引きながら自論を展開し、会場の参加者を魅了した。プログラムが終わった後も、発表者と参加者の間で引き続き議論や様々な意見交換が行われ、今後の研究者間の新たな関係構築へ期待できる一日となった。

報告者:八幡さくら(EAA 特任助教)