2020年度春学期のEAA読書会(「文学と共同体の思想」)第二回

2020年6月6日、新年度2回目の「文学と共同体の思想」読書会が行われた。課題図書はRAの建部良平氏が選んだ吉川幸次郎『読書の学』(ちくま学芸文庫、2007年、底本は『吉川幸次郎全集』第25巻)である。

読書会は本書を選択した建部氏の発表から始まった。建部氏は「読む」という行為に対する関心から本書に触れており、吉川の主張する「読書の学」は思考を進める上での一つのヒントになると考えている。とりわけ吉川自身が、中国では段玉裁や王念孫、日本では荻生徂徠や本居宣長など18世紀の学者に敬意を示し、その方法論からの啓発を受ける中で「読書の学」なる学問を記述した点を重要視した。「読書の学」とは、書物の読解を通して人間を考える学問である。それはただ単に書物の言語が伝えようとする「事実」を理解・解釈しようというものではなく、古今の様々な書物と結び合わせながら、博学の上に基礎付けられたダイナミックな読解を試みるものである。また同時に、書物の言語それ自体にも注目し、その言語が持つリズムや構造への直感的な把握も重要視する。そして最も重要なのは、その読解を通して人間とは何か、などに代表される普遍的な問題へと思考を展開することである。もちろんそこでの普遍の語り方は、現在のわたしたちが考える形と完全に一致するわけではなく、時代や潮流ごとに異なるが、要するに一つの書物の読解を通して、そこに含まれる極めて多様な議論を呼び起こすことが「読書の学」の核心なのである。

出席者全員による議論も非常に活発に行われた。佐藤麻貴氏は解釈のあり方に関心を示した。テクストや事実に対する解釈は、本来多様なあり方をするものであり、一つの権威的な解釈や思考法方法によって束縛されるものではない。しかしながら、そういった権威的解釈に無批判に依存しようという動きは、いつの時代も常に存在している。それに対して如何に距離をとり、未来へとつながるものを考えていくのか。それが学問をする上で極めて重要になると佐藤氏は述べた。

王欽氏は、本書中で言語が事実の伝達を以って忘れられてしまうと述べた箇所に注目し、これが広く議論されている問題であると示した上で、小林秀雄の批評理論にも言及しながら語った。人間が発する言葉は一回限りのもので、全く同じ発話をすることは極めて困難である。言葉を忘れてしまうことや、他者の言葉を伝えることの難しさは正にこの点に起因しており、それを吉川の言語観に対して問いかけた。

張瀛子氏は、王氏の議論を引き受ける形で、引用のあり方について述べた。張氏は中国の経学を研究しており、そこに現れる引用の形、すなわち経書や経書の注釈書の文言が経学者の記述において、断章取義的に引用される点に注目した。これは中世の神学者トマス・アクィナスのテクストにも共通するもので、如何にして先行する他者の言葉を使いながら自説を展開していくかについてである。

建部氏の読解は自身の関心に引きつけられている側面もあり、上に述べたことが吉川の真意であるかは、今一度考える必要がある。しかし、それ以上に建部氏が重要だと考えているのは、18世紀の学者から啓発を受けた吉川の学問を考えた上で、今一度18世紀の学問を考察し、そこから現在のわたしたちにもつながる問いを見つけ出すことである。本読書会はその構想についての一つの発露の場として、そして様々な議論を展開できた点で、非常に有意義なものであった。

 

報告者:建部良平(EAAリサーチ・アシスタント)