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2021.08.05

【報告】連続討論会——ラファエル・リオジエ 『男性性の探究』をめぐって

フランスの宗教社会学者ラファエル・リオジエ氏(エクス=アン=プロヴァンス政治学院教授)は、#MeToo運動が世界各地で盛り上がりをみせるなか、2018年にDescente au coeur du mâleを上梓し、男性と社会の思考に巣食う女性蔑視を男性の立場から反省的に抉り出した。本書はこの度の連続討論会の企画者でもある宗教社会学者の伊達聖伸氏(東京大学准教授)によって日本語に翻訳され、『男性性の探究』という邦題で2021年に講談社から出版された。翻訳の出版を記念し、2021722日・26日には、科学研究費補助金基盤研究(B)「結婚の歴史再考——フランスの事情から見る(ポスト)結婚、生殖、親子、家族」、および科学研究費補助金基盤研究(A)「西洋社会における世俗の変容と「宗教的なもの」の再構成——学際的比較研究」主催、EAAの共催で、リオジエ氏をゲストに招いたオンライン連続討論会が開催された。また26日の討論会は「痛みの研究会」との共催であった。両日ともに200名程度の聴衆に恵まれた。


左から発言順に、増田一夫氏、ラファエル・リオジエ氏、大嶋えり子氏、隠岐さや香氏

722日には討論会「フランスから見た#MeToo 運動——ラファエル・リオジエ 『男性性の探究』をめぐって」が開催された。この討論会ではフランス社会に精通する研究者4人が登壇した。ゲストスピーカーのリオジエ氏に加え、コメンテーターには政治学者の大嶋えり子氏(金城学院大学講師)、科学史家の隠岐さや香氏(名古屋大学教授)が名を連ねた。司会兼コメンテーターを務めたのは、フランス思想研究者の増田一夫氏(東京大学名誉教授)である。
リオジエ氏の講演内容は、#MeToo運動に関心を抱くに至った個人的経緯の紹介から、現代の性差別を解決する実践的方法の提案まで多岐に渡る。ここでは「#MeToo運動の人類学的意義」という論点を取り上げよう。リオジエ氏によれば、女性は新石器時代以降、受動的なモノと通念され、市民権を享受する主体でも、性的快感を味わう主体でもないとされてきた。#MeToo運動の意義は、この性差別的な通念に異義を唱え、女性が市民権を享受し、性的快感を味わい、世界を能動的に楽しむ主体であると示したことにあるという。
講演の後、大嶋氏が投げかけたコメントには「男女の隔離」に関わるものがある。リオジエ氏は『男性性の探究』で、日本やドイツの女性専用車両に言及し、女性蔑視を助長してしまうと批判した。大嶋氏はこれに対し、日本の女性専用車両は、性暴力から女性を守る空間であり、男性支配への臨時の対策として有効ではないかと問うた。リオジエ氏はこのコメントを受けて、男女の隔離が対症療法として有効なのは間違いないが、隔離が必要な現状を生んでいる女性蔑視の構造的原因を解決するという長期的目標も重要だと答えた。
続いて隠岐氏は、リオジエ氏の論じる「男性性」は「支配者の男性性」であり、そこからは女性に加えて被支配者の男性も排除されてきたのではないかと問うた。近年問い直されているのはこの支配文化そのものなのではないか、というのが隠岐氏の見方である。リオジエ氏はこの見方に賛同し、男性の間にも「強く英雄的な男性」と「女性化された男性」という区別が古来存在してきたのであり、#MeToo運動は女性の解放だけでなく、この男性主義的な区別のなかで劣位に置かれてきた男性の解放をもたらすものでもあると論じた。
増田氏は、「フェミサイド」の用語を採用し、男性による女性の殺人をより明確に社会問題として同定する必要性を主張した。他方で、女性に過剰で一方的な性欲を抱くよう男性を誘導する社会のあり方を批判したうえで、男性が女性に抱く欲望すべてを排除することはできるのかと問うた。リオジエ氏はこれに対し、問題は欲望そのものではなく、欲望を支える幻想にあると論じた。男性が能動的な主体であるのに対し、女性は受動的な客体で、それゆえ男性の欲望に服従するという幻想である。この一方的な幻想を生み出す「ポルノ的」構造こそ、現在問い直されているのだという。


左から発言順に、小川公代氏、ラファエル・リオジエ氏、清田隆之氏、三牧聖子氏

22日に続いて26日には討論会「女性蔑視はどうつくられるか——ラファエル・リオジエ 『男性性の探究』をめぐって」が開催された。22日の討論会ではフランスに関する議論がメインとなったが、26日の会では、日本・アメリカ・フランスという異なる三つの地点から出発し、考察・討論が展開された。リオジエ氏に応答した登壇者は、「桃山商事」代表として長年日本における「恋愛とジェンダー」というテーマに向き合ってこられた清田隆之氏、そしてアメリカ外交・平和思想を専門とする三牧聖子氏(高崎経済大学准教授)である。司会兼コメンテーターを英文学者の小川公代氏(上智大学教授)が務めた。
会の冒頭で小川氏が日本におけるジェンダーギャップの深刻さについて紹介したあと、これに応える形でリオジエ氏は、ジェンダーギャップのランキングに関わらず、アメリカでもフランスでも、そして日本でも、問題の核心は「目に見えないミソジニー」にあると論じた。自身の経験に言及しつつ、リオジエ氏は、明確に女性蔑視の態度を取る男性でなく、フェミニストを自称する男性においても、不可視化されたミソジニーがその深層に巣食っている場合があると指摘した。極端(extreme)ではなくラディカル(radical)を信条とするリオジエ氏は、犯人を追及して刑罰を科し糾弾するという形にこだわるのではなく、問題の根本に遡ってこの構造を可視化し、変えていくことの重要性を説いた。
続いて、リオジエ氏への応答として、「男性性とセクシズム」「#MeToo運動と人種問題、インターセクショナリティ」「本質主義に抗う方法について」という3つの論点から清田氏・三牧氏がコメントを行った。清田氏は、多くの(異性愛者の)女性から寄せられた「恋バナ」を事例として参照しつつ、そこから窺い知れる日本社会におけるセクシズム(性差別)について論じた。また清田氏は、いわゆる「一般男性」(シスジェンダーでヘテロセクシュアル、おおむね健康で、組織で働いている等々の特徴を備えた人々)に対するインタビューを重ねる中で、女性を消費しモノ扱いするということの意味や、それが問題であるという意識がそもそも共有されていない、というのが日本社会の現在地なのではないか、と感じたと述べた。
三牧氏は、トランプ前大統領とその政策に象徴される、セクシズムと人種主義の結合について論じた。ある種の「被害者感情」——自分たちの方が差別されている、と考える非エリート層の白人男性が抱く強烈な感情——ゆえに#MeToo運動への拒絶や無理解が生じている構造が指摘された。また、裕福な白人女性によって#MeToo運動が担われたことでこの運動が爆発的な拡がりを見せたことも確かであるが、一方で、こうした運動を以前から展開してきた黒人女性の存在(例えば三牧氏は、2006年、黒人女性のタラナ・バークが貧困層の若い有色人女性の救済を目的として行った#MeToo運動に言及した)が後景化してしまうという限界があることも指摘された。
本質主義に抗うというテーマについては、差異をなくすことなく「幻想を流動化する」(『男性性の探究』126ページ)ことの重要性が確認された。「流動化」とは、男/女、あるいは白人/黒人といった二項対立を規定する権力関係をなかったことにするのではなく、それを可視化し、揺さぶりをかけることを意味する。
22日・26日と2日間に亘って開催された連続討論会が、女性の解放のみならず、「男らしさ」に縛られた男性をも同時に解放する「流動化」のためのラディカルな革命の端緒となることを願ってやまない。

なお、それぞれの討論会の内容は、別途文章化されて後日公開される予定である。ご関心の向きはそちらも合わせてご覧いただきたい。

報告者:田中浩喜(東京大学大学院博士課程)、崎濱紗奈(EAA特任研究員)