ブログ
2021.12.13

【報告】オンライン連続講座「知の継承(バトン)」第1回:紙の誕生と伝播から見る「記録媒体の世界史」~東洋から西洋へ

People

20211126日(金)19時より、東京大学経済学図書館・経済学部資料室、東京大学東アジア藝文書院(EAA)、(一社)読売調査研究機構の三者主催による、オンライン連続講座「知の継承(バトン)」の第1回が開催された。このシリーズは全体を通して「記録媒体として紙が果たした役割」をテーマとするもので、今回は「紙の誕生と伝播から見る「記録媒体の世界史」」と題して、特に「東洋から西洋へ」という方向性に焦点があてられているが、これは反転して次回の「西洋から東洋へ」と対をなすという。

登壇者は、石原俊時(東京大学経済学図書館長)、小島浩之(東京経済学部資料室講師)、森脇優紀(同特任助教)の3氏で、この連続講座の企画者である、東京大学経済学図書館の主要メンバーが揃い踏みしたことになる。この日の進行は、石原氏による開会挨拶のあと、小島氏によるプレゼンテーション「紙の普及と世界史」、そして小島・森脇両氏のトークセッション「歴史史料をモノから読み解く~何に情報を記すのか」、最後に質疑応答という4部構成であった。

 

 

プレゼンテーションに先立って、石原氏より、この連続企画が、東京大学経済学図書館の周年記念行事の一環として企画されたことが説明された。現在の経済学図書館には、図書館と資料室の2部門があるが、それぞれの淵源にあたる経済統計研究室および商業資料文庫の創設(それぞれ1900年、1913年)から、前者は2020年で120周年、後者は2023年で110周年の節目を迎えることになる。さらに、新渡戸稲造によるアダム・スミス旧蔵書の寄贈(1920年)からは、2020年で100周年を迎えるということで、この2020年から2023年をひとつの画期として様々な催しをおこなう一環として、この連続講座も企画されたという。こうした背景・経緯が、歴史的な写真がふんだんに盛り込まれたスライドによって紹介された。「開会挨拶」と言っても、決して形式的な挨拶に留まるものではなく、企画そのものが有する重層的な背景の一端を簡潔に示す、これも1つのプレゼンテーションとして注目される内容であった。

 

 

小島氏によるプレゼンテーション「紙の普及と世界史」は15分という短時間の間に、文字通り「媒体(メディア)」としての紙の世界史的な見取り図を示す、大変濃密なものであった。ユーラシアの東から西へと製紙技術が伝播する様相を、地図で視覚的に提示したあと、そもそも媒体には「フダ状」「シート状」の別、「硬式」「軟式」の別があること、「紙」はシート状記録媒体一般を意味する文字であり、モノとしては織物(絹布)を指していたが、蔡倫の改良とともに「帋」(ぼろ布を叩解して加工したモノ)が「紙」機能の主流を担うようになっていったこと、メディアの素材の区分に植物由来と動物由来のものがあるが、紙はそのうち前者の靭皮繊維を用いたものであること、こうした事実が、技術・経済等さまざまな要因で変遷していった有様が、簡潔に語られた。さらに、紙で見過ごされがちなのが「サイジング」(滲み止め)であり、これがなければそもそも書写ということ自体が不可能になるが、逆に、これが繊維の破壊の要因(酸性紙劣化など)にもなる点が指摘された。聴衆は、経済学図書館の100年の歴史から、その背景にある1000年単位での紙の歴史へと一気に誘われることになった。

 

 

ここから森脇氏が加わり、トークセッション「歴史史料をモノから読み解く」として、①「紙以前の記録媒体」、②「東洋の紙と西洋の紙の違い」、③「ヨーロッパ人は東洋の紙をどう認識していたか」という3つのトピックから、対話が繰り広げられた。まず、小島氏が説明する東洋に対して、西洋はどうだったかというところから話は始まり、有名な「パピルス」(paperの語源にあたる)や「羊皮紙」が、厳密には「紙」の定義(繊維を水中に分散させて、脱水・乾燥の工程を経て、繊維を絡み合わせてシート状にしたもの)には入らないことが、その形態や製法・用法の歴史的変遷と共に説明された。現代で「紙」と見なされる存在が、そのモノの組成と機能の点で、歴史的には必ずしも一致していなかったこと、羊皮紙を「紙」と言うのは、モノの組成でなく機能からの表現であることがよく理解できる。我々の身近にあるのっぺりした紙が、その歴史的・地域的な奥行きをもって、言わば立体的な理解を促すものとして、我々の前に立ち現れることになった。

 

これを承けて、東西それぞれにおける「紙以前」から「紙」への移行について、「ペン、インク、活版印刷」「筆、墨、木版印刷」といった書写方法から、時空共に非常にスケールの大きな比較がなされた。さらに、東西それぞれの紙の製造工程について、実際の工房の写真や、歴史資料に示されるスケッチから具体的に示し、それぞれの地域で独自の素材・技術の発展があったことが説明された。

 

 

後半は、東西の出合い、東洋からやってきた紙をヨーロッパではどのように認識していたか、という話題であった。マルコ・ポーロやイエズス会宣教師の残した記録の中に、紙の種類に関する詳細な記載があること、西洋ではペン書きという習慣から、記録媒体としてはガンピ紙がもっとも適していたらしいこと、いっぽうコウゾは主に贈答用に使用されていたらしいこと、等が指摘された。重要なのは、こうした事実が、歴史的な記録からの類推だけでなく、世界各地に残存する遺物を実際に熟覧し、料紙調査の手法による定性・定量データによって裏づけられていることである。

最後に、紙のあり方は、その生産環境、使用環境、自然環境、社会環境、政治情勢などにより相違が生じること、この相違から、史料の生成時代や地域を確定したり、時に真贋を暴いたり、それをとりまく人々の相対的な力関係を読み解いたりするができる、とまとめられた。おそらくこれらは、紙に限らず、ひろく人間の道具について、その比較史に応用できるのではなかろうか。

 

 

以上のセッションを承けて質疑応答がおこなわれた。質問内容は多岐に亘ったが、最後に、記録媒体として現今無視できない存在になっている「デジタル」との比較についての問いに対して、紙という媒体が長い歴史を有するという事実だけでなく、その視覚的な相違と使用形態の相違との関係について言及があったことは注目された。こうした比較をより深掘りするためには、デジタル・メディアについて、その近視眼的な利活用の側面だけでなく、両氏が紙に対して積み重ねていたのと同様のレベルでの分析や、比較のための枠組み構築が必要となるのであろう。課題のバトンは、質問者や視聴者にも渡され共有されたものと思った方がよさそうである。(なお、本講座の申込者数は581名、視聴回数は553回であった。公開講座の要旨は読売オンライン(https://www.yomiuri.co.jp/culture/academia/20211203-OYT8T50038/)に掲載されているので併せて参照されたい。)

 

報告者:矢野正隆(東京大学経済学部資料室)