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2022.04.20

【報告】2022 Sセメスター 第2回学術フロンティア講義

2022415日(金)オンライン形式で、2022Sセメスター学術フロンティア講義「30年後の世界へ――『共生』を問う」の第二回が行われた。今回は、東南アジア地域研究を専門とする青山和佳氏(東洋文化研究所)が、「共生をめぐる小さな自伝的民族誌――被暴力経験とその後」と題して報告を実施した。議論の内容が青山氏自身のトラウマに関わることから、講義は事前に録画された映像によって行われ、その後ライブ形式で質疑応答が行われた。

青山氏はまず、「共生」とは他者と付き合っていくことであり、暴力はそれを否定する行為だと定義する。

 

そして自身の過去の経験として、留学先のアメリカでベトナム難民のAから暴力を受けたことを語った。その後、青山氏はこの経験を直視することを避けていたものの、周縁化された人々への研究を続けるなかで、ついにはそれがトラウマ化し、治療を余儀なくされる。ところが、治療のために訪れた沖縄で御嶽(うたき)について知り、それが人間に普遍的に存在する精神世界へ関心を持つきっかけとなった。最終的に被害と加害の関係性は絶対的なものではないと述べつつも、自身の心や身体はAへの許しを拒絶しており、神へ祈ることしかできないと結論付けた。

 

執筆者として印象深い点は、被害者と加害者の関係は絶対的なものではないという指摘である。例えば菊池英明『太平天国――皇帝なき中国の挫折』(岩波書店、2020年)が指摘したように、太平天国は暴力的で排他性にあふれた組織であったが、その成り立ちには社会変動の中で貧困化、流民化した民衆の存在があった。一方執筆者が十分に理解できなかった点は、最終的な行為である「祈り」が「共生」にどうつながるかという点であった。この問いが今後の課題となるように思われる。

 

報告:横山雄大(EAAリサーチ・アシスタント)

 

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)歴史学においても、genealogical approachという研究方法があります。政治や偉そうな事件を中心とした編年史と他の伝統的な歴史研究法に対して、genealogical approachは人物自身を中心とし、そして自分自身の体験など「主観的要素」を重視する研究方法であります。青山先生の講義には、その方法に似ている点がよくあるかと思います。「被害者」も「加害者」も、両方は元々価値判断から生まれた概念であり、「害」とは何であるか人によりそれぞれ違うじゃないか、と思います。勿論、事実上の侵害が確かに存在しているとはいえ、青山先生がおっしゃった通り事実上の侵害における「被害者」と「加害者」両方にも「被害」と「加害」の要素があるかもしれません。ここでどう「客観」と「主観」の関係を理解すればいけるか意味深い課題となっていると思います。(教養学部4年)

(2)学部の2年生ですが、大学の講義を聴きながら感動して泣きそうになるということをはじめて経験しました。このような講義をしてくださった青山先生に尊敬と感謝の念を深くします。
哲学や思想の言葉によって人の心が支えられるということの意味を深く理解できたと感じています。哲学を自分ごととして捉え、自分の人生というナラティブの中で理解することのあり方をまのあたりにしたという気もします。
質疑応答でわけのわからないまま「わたしたちはどうして傷つけあってしまうのか」という答えのない質問を投げかけてしまい恐縮でしたが、これはひとつ大きな問いとしてこれからも心に留めておきたいと思います。他の方の質問、「大きな物語の被害者が小さな物語の加害者になってしまうことにどう向き合えばいいのか」という問いも非常に重いものとして受け取りました。人間でないものを含めたあらゆるものの声の中で、考え続けていきたいと思います。(文科3類2年)