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2022.07.04

【報告】〈現代作家アーカイヴ〉文学インタヴュー第25回 公開収録

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2022年6月27日(月)、飯田橋文学会、および東京大学の複数の研究機関(UTCPHMCEAA)の主催による第25回「〈現代作家アーカイブ〉文学インタビュー」が開催され、Zoomにて公開収録された。今回のゲストには詩人の吉増剛造氏をお迎えし、聞き手は阿部公彦氏(英米文学・東京大学教授)が務めた。インタビューでは、吉増氏自選の代表作『詩とは何か』(2021)、『Voix』(2021)、『声のマ 全身詩人、吉増剛造展カタログ』(2016)の三作を中心に話が展開された。

左から阿部公彦氏、吉増剛造氏

インタビューは、吉増氏の詩の中で印象的である二つの観点、「痛み」と「引用」にまつわる話を中心に始まった。東日本大震災後、多くの詩人が「痛み」の問題について語ってきた。その語り方には痛みに寄り添うように深く沈んでいくような傾向が見られたが、それに対して吉増氏の詩には不思議な「前向きさ」があると阿部氏は指摘した。さらに阿部氏からは、吉増氏の詩における、既にある問題をずらして「引用」することをめぐる問いも投げかけられた。その問いに対し、吉増氏は「引用」ではなく、「筆写」を行っているのだと述べた。一つの例として詩「怪物君」が挙げられた。本作の中で吉増氏は、詩人で思想家の吉本隆明の著作を引用するというより、追悼の意味も込めて筆写してきたそうである。このような筆写を通し、詩の解体、再構築を試みることができる。それこそが、吉増氏が呼ぶ「瓦礫状態」である。詩もことばも「瓦礫」にさらさなければならない、と言う。

詩を朗読する吉増剛造氏

インタビュー本編では、「この三冊の本を選んだ理由」「詩を書き始めるきっかけ」等の阿部氏から発せられる問いを機に、声と音と雑音、空間と時間の取り方、スピードと叩かれた言葉等々、吉増氏の創作の内実が次々と明らかにされていった。とりわけ興味深かったのは、作品世界における「こえ」の捉え方をめぐる吉増氏の見解である。『詩とは何か』(2021)の冒頭の箇所である「自分の声を発しつつ」や、フランス語の「Voix(ヴォワ)」という単語の意味が「こえ/おと」であることや、「声ノマ」の「マ」がカタカナ表記である理由(「魔」、「間」、「真」、「待」、「増」 など、様々な意味を込めている)等の議論を通して、「詩というのは、言葉と音の間のような微妙な所にあるものだ」という、吉増氏の創作意識が明かされた。また、吉増は録音を重視している。声、或いは音を音源として保存して聞き直すことにより、歴史性が生じるようである。それによって「noise(雑音)」のようなものが出てきて、そして声が出てくると、吉増氏は述べた。雑音を通すことで、生命が刺激を受け純粋な世界に入ることができるのだ。

インクを用いたパフォーマンスを行う吉増剛造氏

インタビューの終盤には、朗読パフォーマンスの先駆者としても知られる吉増氏が、詩を破壊しながら再構築していくような、熱気を帯びた朗読やパフォーマンスを行った。パフォーマンスの最中には、時々吉増氏自身がコメントをし、即興の話も織り交ぜ、小型の槌で詩の原稿やテーブルなどを叩いた。また、テーブルに置かれた原稿の上に、淡黄色や赤や紫のインクを三回ずつ垂らしていた。

質問への応答のなかで、記憶と忘却、デジタルに対する態度、詩のリズムへの対抗など、様々な話題に対する吉増氏の思索や見解がより一層明確になった。全力、全生命をかけて、幼い頃に初めて覚えた発声方法を辿り、言葉未満のぎりぎりのところで詩を創作し続ける吉増氏の「全身詩人」としての姿を、このインタビューを通してうかがい知ることができた。

報告者:王 紫輝(東京大学大学院研究生)