2025年5月16日(金)、2025年度学術フロンティア講義「30年後の世界へ——変わる教養、変える教養」第6回が18号館ホールで行われた。今回は科学技術社会論を専門とする本学理事・副学長である藤垣裕子氏が「壁を越える力をいかに身につけるか~専門家のためのリベラルアーツ」という題目で講義を行った。
藤垣氏は福島第一原発事故から話を始めた。日本は長年にわたり「科学技術立国」を掲げ、原子力、地震、津波などに関する研究では世界最高水準の成果を上げてきたにもかかわらず、なぜ深刻な事故が発生したのか。その一因として、「分野」と「分野」のあいだのコミュニケーションの乏しさ、すなわち多様な知を結集する力の弱さを指摘した。この問題意識を踏まえ、藤垣氏は教養の定義に立ち返り、東京大学における教養教育の実践について紹介した。特に「異分野交流論」という具体的な授業を取り上げ、リベラルアーツ教育の一つの試みとして説明した。
この授業では、毎回一つのテーマに基づいて教員が問題提起文を提示し、論点を挙げ、学生はそれをもとにグループで議論を行う。その後、クラス全体で議論の内容を共有し、これを4回繰り返す構成となっている。取り上げるテーマは、研究不正、代理母出産、グローバル人材など、単純に白黒をつけることが難しい複雑な課題である。学生たちは、こうした論点を通じて的確な判断力を養い、専門家のためのリベラルアーツを身につけることが目的とされている。
この「異分野交流」を通じて、学生は自らの前提を問い直し、他者との対話を通じて思考を深める。これは、自由な思考を支える技術であり、リベラルアーツの根幹をなすものである。こうした学びを通して、藤垣氏は「責任ある研究とイノベーション(Responsible Research and Innovation: RRI)」が、分野の壁を再編する方法となることを強調した。
講義後には、異分野交流や妥当性の要件について、学生と講師の間で活発な議論が行われた。報告者自身、日本で地域研究を行う留学生として、国境や学問分野を越えた研究の意義を日々実感している。しかしながら、国家間における学術的手法や理論的枠組みの違い、さらには論理の思考様式にも多様性が存在する。そうした背景の中で、どのようにして専門家のためのリベラルアーツを養って、学術的な架け橋を担う存在となるかは、異文化を研究対象とする私たちにとって極めて重要な課題であると感じた。
写真・報告:席子涵(EAAリサーチ・アシスタント)
リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)専門家のリベラルアーツは壁を越えて往復し、こころを開くためだとおっしゃったが、まだ専門性の壁がない・低い前期過程においてのリベラルアーツの意義は、これとはどう違うのだろうかと思った。前期過程では専門性の壁はないけれども、先入観などから興味ないと思える分野を学ばないような「無知の壁」などが存在すると思う。この無知の壁を自ら壊すことは難しいと思うので、質問の時に言われていたようなしかけ、場所が必要だと思った。また、リベラルアーツとして様々な分野を学んでも、学生のうちに、多様な知識を持つことの大切さに日常の中で気づくというのは稀ではないだろうか。教養やリベラルアーツの重要さを頭では理解していても、大学、サークル、バイトなどに世界が限定されがちな大学生が、果たしてそのような経験を持つことができるのか。専門家とは違って、前期過程におけるリベラルアーツというのは、他のコミュニティとの往復(という身体的体験)がより重要視されるべきではないかと思った。実際にリベラルアーツを学ぼうとするモチベーションのためには、座学ではなく、具体的な体験が必要だと思う。その体験の内容は分からないが、日常生活ではなく、意図的に非日常に触れることが大切だと思った。
– 教養学部(前期課程)文科三類・1年(2)専門性を得ることで、自分の分野における査読を通して固定観念が身に付きそのことによって分野間の協力、他分野からの視点をうしなってしまうことがあるという指摘は人々に普遍的に当てはまる問題であると感じました。固定観念、ステレオタイプという言葉は一般的ですが、その考えを学問の分野内の思考にあてはめ、学問分野における問題を見出していること、そしてその固定観念をのりこえることで思考が自由になり教養を手に入れられるという考え方が自分の後期課程に進むにあたって留意しなければいけないことであり、前期課程の意義であると感じました。この授業において最も中心的な問は、まぎれもなくどのように他分野と交流するかであると考え、この問いついて自分もとりあげます。自分は分野間の往復において最も求められるであろう物は「謙虚」であると考えます。自分がある分野において査読等を通して自分の学力、教養が上がったと思い込み他分野の考えに対して、「異なる」ではなく「間違っている」とみなしそれを受け入れようとしなくなってしまうと考えられます。ほかの分野の考え方に対して「異なる」ものを自分の知識不足によるものと謙虚に受け入れ、視野をひろげていくべきと考えました。
– 教養学部(前期課程)理科一類・2年

