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2020.12.04

10/30-11/6 教養学部・全学自由研究ゼミ「人文-社会科学のアカデミックフィールドを体験する」セッション3

 10/30(金)と11/6(金)にかけ全学自由研究ゼミ「人文-社会科学のアカデミックフィールドを体験する」の第3セッションが開講された(参考:第2セッションの報告 https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2020-6286/)。
 今回のセッション「貧困に対するまなざし」を担当するのは宮川慎司氏(総合文化研究科博士課程)である。宮川氏はフィリピン都市部のスラムを対象に、スラムへ生きる人々の「戦略」と公的機関との関係性について、掘り下げた(in-depth)聞き取りのデータ、質問紙による俯瞰のデータ、そしてスラム外の新聞や議事録といった史資料のデータを駆使した研究を行ってきた。Week1のレクチャーではスラムにおける「盗電」現象について、スラムの内なる「社会規範」をテーマに、インフォーマリティ/フォーマリティ/リーガリティ/イリーガリティの四象限の枠組みを使って授業を行ってもらった。

 社会規範(social norm)は社会学、とくに小規模集団を対象にした社会学が扱ってきた伝統的なテーマである。価値に対する認識の問題や視点の転換を背景に、この伝統的テーマが、経済、法、政治、社会をまたいだ社会科学の諸領域で現在広く論じられつつある。とくにスラムという空間は、それ自体がいわゆる「不法居住」により形成された場所であり、公的な法制度の規定する違法=イリーガルな対象である。しかしスラムへ住まう当の人々がその空間で展開する日常の行為は、すべて違法/合法に二分割されて行われているわけではない。「違法ではあるが正当」であると認識される領域(許容されるインフォーマリティ)がそこへはモザイク状に入り混じって存在している。スラムでの「盗電」という行為はかつて「違法ではあるが正当な」行為とみなされていたが、近年のEMCs(高所集合メーター)導入といった技術的変化やドゥテルテ政権によるフィクサー(行政との私的パイプをもつ有力者)排除の影響を受けて、その行為を「正当化する論理」と「批判する論理」のバランスが変わりつつある。

 現代の私たちも、程度の差はあれ大小サイズを異にする集団やコミュニティのなかに生きている。そしてそれらの集団やコミュニティには内輪のルールとしての「社会規範」をもっている。スラムというと現代日本から遠く隔たれた場所のように思われるが「社会規範」という概念を通じて私たちの日常を見つめ直す「まなざし」をふりかえる授業であった。
 Week2は、宮川氏から受講生へのそもそも「許容されること」(許容度)をいかにはかることができるか、との問いかけからディスカッションがすすんだ。これは調査論の一種でもあるのだが、そもそも「何かが許容されること」へ尺度をつけられるのか、質問の発話者によって尋ねられた相手のリアクションが変わることもありうるのではないか、といった議論が交わされた。また「貧困」「法」「まなざし」などのキーワードから「貧困バッシング」がなぜ許容されてしまうのか?、規定される法そのものの「暴力」をいかに考えるべきか?などよりメタな・より広い文脈の議論が展開された。
 今回からレクチャーとディスカッションの内容から派生した「Further Readings」を講義後メールで受講生へシェアするようにした。講師・ゲスト陣ともに多様な研究バックグラウンドをもっているため、その研究歴と読書歴を活かしつつテーマを深める・広げる書籍の情報をシェアする試みである。紹介された書籍が、受講生の今後の進路選択やとりくむ「学び」に対していささかでも益することがあればと願う。

報告者:前野清太朗(EAA特任助教)