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2021.03.15

第4回 EAA ブックトーク

 2021年2月17日、第4回のEAAブックトークが実施された。緊急事態宣言下の状況を踏まえ、これまでの屋外集合・対面形式は見送り、初のオンライン開催を実験的に行った。これまでの参加者6名(前野清太朗・髙山花子・崎濱紗奈・張瀛子・建部良平・若澤佑典)に加え、田中有紀氏(東洋文化研究所)が対話の列に加わってくれた。まずは第4回のお題である「経済と経世」について前野氏から説明が行われた。第3回の「注釈/コメンタリー」の討議では、解釈行為を通じて近世の人々が共鳴・結束する「文に媒介された共同性」が焦点となった。18世紀の世界各地を眺めてみると、こうした「文の共同体」は市場原理・商業世界とせめぎ合いながら、自己了解や変容を進めていることが分かる。例えば清代考証学の人々にとって、商業社会の成立に伴う出版業の隆盛は、彼らの思索を広める場を提供した。文の共同体は経済活動のエネルギーに支えられ、その圏域を広めていく。他方、出版の世界における購買活動は、文や共同性そのものを商品化し、知の探究活動を空洞化する危険もはらんでいた。18世紀の中国のみならず、同時代のイギリスやフランスでも、文筆家の人々は自らが市場原理に呑み込まれること、マーケティング活動の中で哲学的思索が融解していく事態にアンビバレントな心情を抱いている。
 「文に媒介された共同性」をさらに考えていく上で、近世の知的空間を呑み込もうとするエコノミーなるもの、翻ってこのエコノミーなる怪物を分析理解しようとする知的営みが、「解釈/コメンタリー」以後のブックトークで争点となりうる。さらに経済活動に対する知的介入・反省の枠組みは1つではない。この多名性をハイライトする上で、「経済と経世」という併記が、導きの糸になりうるだろう。以上のような経緯で、第4回のテーマが定まった。こうした前野氏の問題提起を聞いていると、第2回ブックトークで言及された、井上進『中国出版文化史――書物世界と知の風景』(名古屋大学出版会、2002年)が想起される。また昨年12月のヒューム・ワークショップ(「18世紀の対話篇を読む/論じる/翻訳する」)で参照された、アントワーヌ・リルティ『セレブの誕生――「著名人」の出現と近代社会』(名古屋大学出版会、2018年)のルソー解釈も手掛かりになりそうだ。前野氏自身は、関川夏央『白樺たちの大正』(文藝春秋、2005年)を脇において今回の構想を練ったという。その書名が示すように、あるいはこれまでのブックトークがそうであったように、参加メンバーの参照点は必ずしも18世紀に限定されていない。前野氏の提起を引き受ける形で崎濱氏からは向井清史『沖縄近代経済史――資本主義の発達と辺境地農業』(日本経済評論社、1988年)の紹介があった。崎濱氏は博論執筆時に、概念自体が流通・媒介・作用する過程を追うため、思想史と経済史・経済思想史の接点に関心を持ったそうである。思想が経済の中に呑み込まれつつ、経済を問いの対象として飼いならす両義性が、ここでも焦点となっている。
 エコノミーをめぐる「多名性」について、前野氏は「資生学」や「家政学」といった事例に言及する。「経世済民の学=経済学」という枠組みでは、政治政策と連動したトップダウン的な視点が強調されるが、資生や家政という言葉になると、もっとプラクティカルで日常生活に即した響きがする。こうした多名性は、経済学が生まれた(とされる)英語圏の言語空間にも例が見いだせるかもしれない。若澤からは経済思想史の入門書として知られるロバート・L・ハイルブローナーの『世俗の思想家たち』(原題The Worldly Philosophers、ちくま学芸文庫、2001年)と『私は、経済学をどう読んできたか』(原題Teachings from the Worldly Philosophy、ちくま学芸文庫、2003年)を紹介した。これらの書物においても、経済思想ないし経済学は「世俗の哲学」としてパラフレーズされている。EAAのプロジェクト研究では「世界」(world)が大きなキーワードであるが、言葉の響きが「浮世の」(worldly)という言葉につながると、どこかクスっと笑えてくる。髙山氏は2冊のフランス語辞書を持参・参照し、「オイコノミア」というワードが持つ歴史的広がりを語ってくれた。髙山氏が提起した「翻訳」から「経済と経世」テーマへのアプローチは、参加メンバーを大きく刺激したようである。田中氏は前任校の経済学部で中国語や思想文化を教えていた経験を振り返りつつ、近代東アジアにおける翻訳実践へフォーカスした。田中氏はJ.C.ヘボン編『和英語林集成』を教材に「経世」を扱ったオープンキャンパスの授業を例示しながら、初期の「経済」訳語について説明を行ってくれた。国際貿易の空間拡張に伴ったヨーロッパとアジアの遭遇は、漢字とアルファベットの相互交渉も媒介した。これについて、前野氏は齋藤希史『漢文脈と近代日本』(角川学芸出版、2014年)を紹介して応答した。建部氏は、翻訳実践と近代文学の世界から吉川幸次郎と大山定一の『洛中書問』(筑摩書房、1974年)に言及した。本書で展開される応答は日本における翻訳論を考える際のキーテクストの1つである。
 今回のブックトークでは、エコノミーの「多名性」が翻訳論へと変奏される一方で、「モノ」から思想史を考える視座も俎上にあがった。張氏は明末清初を出発点として、商業世界の勃興に居合わせた中国知識人たちが、日用品への関心を生活美学として昇華させたり、骨董愛好へと向かったりしたことに着目する。交易が盛んな空間には、モノがあふれている。書物や知識すらも商品となる世界で、「過去」はどう扱われるのだろうか。一方、時間はモノの価値を左右する重要なファクターである。時間の経過は単なるモノを、歴史的価値が堆積した骨董品へと変性させる。他方で、時間そのものは売り買いできない。万金を積んでも、目の前の新しい物品に由来や故事を付加することはできない。近世以降の社会における市場原理と過去に対する関心は、不思議な形で相互干渉しているように見える。張氏は巫仁恕『品味奢華:晚明的消費社會與士大夫』(聯經出版、2019年)と大木康編『原文で楽しむ明清文人の小品世界』(集広舎、2006年)を参照しつつ、モノがあふれる世界で読み・書き・思考した、近世の人々の足跡をたどった。また、モノに囲まれ(時に圧倒され)る世界を特徴づけるのは、既存の政治秩序からはみ出しつつ、生活には困窮していない「ヒマな人々」の存在である。勤勉に労働する人々を脇目にブラブラしている人たちが生み出す「文」の場も忘れてはならない。市場原理で出版の世界が駆動する一方、そこに片足を突っ込みつつ、はみ出している者たちもいるようなのだ。趣味や暇、骨董と目利きといった言葉は、(中国以外の地域をフィールドとする)18世紀研究者にとっても興味を惹かれるものである。回を重ねるごとにメンバー間で共有された問いの平面が明らかとなり、その輪郭もハッキリしてきた。ブックトークの各回のみならず他のリサーチイベントとの接点も見えてきて、知を「連環」させる場としてブックトークが存分に機能を果たしている。そんな勢いを実感した第4回の討議であった。次回の第5回は2020年度ブックトーク企画の最終回になる予定である。

報告者:若澤佑典(EAA特任研究員)