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2021.03.09

文運日新 01: 離任にあたって――若澤佑典さん

連なる想いを編む
こまばの森で過ごした一年間

若澤佑典

 2020年4月から始まった研究員生活は、激しく、そして鮮やかなものでした。思いを巡らすと、色づいた銀杏の木々、駒場の森のざわめきと共に、この1年間の軌跡がよみがえってきます。このポスドク生活を始めるにあたって、中島隆博先生と短い問答を交わしました。私はこれまでの研究で、「徹底的な学術探求が、知の自己解体ではなく、会話の世界へと向かう経路」を18世紀の知的空間に見出し、ヒューム解釈のなかで「穏やかさ」を主題としてきた、と説明いたしました。中島先生からは「穏やかなヒュームを見つけた、ということですが、猛り狂ったヒュームというのも、どこかにいるのでしょうか?」と、コメントが返ってきました。「激しいヒューム」というフレーズは、どこか不思議な存在感を伴って、1年の間、頭の中で残響を続けました。「激しさ」と「穏やかさ」の同居は、東アジア藝文書院で「どんな人たち」が「いかに学を問おう」としていたのかを、簡潔に表現しているように思われます。石井剛先生とはプロジェクトメンバーとして、あるいは同じ18世紀研究の徒として、徹底的かつ実存的な知的応酬を交わしました。「文体の選択は、学派の選択でもあるんです。どうやって書くかという問題は、どういった知的系譜の中に自分自身を位置付けるか、という模索でもあります」とか、「図像はさまざまなものを明らかにします。でも、その過程で何が隠されているか、一緒に考える必要がありますね」など、石井先生の言葉を手掛かりにしつつ(あるいは、時に抗いながら)、18世紀の世界を縦横無尽に駆け巡りました。研究協働の在り方について話し合った際、「この1年間で、今までにやってみたいと思っていたことを全部やりましょう!!」と石井先生がにこやかに笑って、研究室へ戻っていった場面が印象に残っています。創造に向かうとは猛り挑むことであり、その激しさが相手への信に根差している、そんなことを感じた瞬間でした。創造とは激しく、しかし穏やかに想うことなのでしょう。
 駒場に着任するにあたって、どこか予感めいたものがありました。これまで7年間半過ごしてきた英語圏の研究世界と、これから始まるプロジェクトの場がきちんと地続きである、つながっている、という感触です。勤務初日の英語座談会で、井上彰先生と質疑応答をした際、自然とヒュームの話題になったことが、上記の予感を実感に変えました。また、秋になると経済学部資料室との連携が始まり、アダム・スミス文庫を訪問することもできました。前野清太朗さん・髙山花子さんと一緒に立ち上げた野外ブックトーク企画では、建部良平さん・張瀛子さん2人の交わす対話が、私を18紀中国思想の世界へと誘ってくれました。清代考証学が文人たちの「群像」劇であること、その賑やかな会話の世界を感じることができました。18世紀のヨーロッパで道徳感情論が構想され、古への関心が発掘や骨董収集という形で花開き、さらには事典・辞書が編纂されている時、同時代の中国や日本においても、情と人間本性をめぐる問いが提起され、知の再編成が起こり、文人たちが書画に情熱を傾けたこと、この「共時性」が私のなかでずっと気にかかっていました。宇野瑞木さんとのやり取りでは、伊藤若冲や円山応挙、池大雅らがのびやかに活躍する、18世紀の京都が焦点となりました。書物や図版の流通・循環を考えるようになったのも、こうした研究員同士の交流がきっかけです。前野さんや髙山さんと相談していく中で、こうした1つ1つの閃きが企画として展開していきました。上記のお2人や立石はなさんと一緒に過ごした駒場オフィスには、どこか中学高校時代のホーム・ルームに似た愛着を感じます。
 崎濱紗奈さん、そして田中有紀先生とは「思想史っぽさ」とは何か、モノや部屋、群島といった主題から、和やかな場で一緒にお話しさせていただきました。三者三様の研究分野を持っていますが、一般的にイメージされる思想史とはちょっと違った思想史、「思想史らしからぬ思想史」を語っている点で、どこか相通じるものがありました。私自身が持つ思想史の原風景・原体験には、「どうも世界を見渡すと、自分が思い悩んでいることを、違った時代や地域の人が同じように考え、しかし違った形で語っている」という驚き、そして自分は1人ではないんだという安堵感があります。私は思想史という営みが、今まで知らなかった人々、会ったことも話したこともない人たちの「想い」に遭遇すること、各人の「思い」を編んで1つの面を作ること、自分もまた「想い」の列に連なること、こうした一連のプロセスだと理解しています。この1年間の軌跡は、この「連なる想いを編む」という言葉で表現できそうです。
 「編む」という行為は、活動を共にすることで成立するものです。具裕珍さんと伊野恭子さんには、本郷と駒場という地理的制約を超え、さまざまな協働を行う上でお世話になりました。チームの一体感を保ちつつ、積み重なった既存のルールに押しつぶされない軽やかさ、突貫の手立てを2人から学びました。オンラインの場では、メルロ・ポンティ研究者の田村正資さんが、自らの身体の如く電子機器を操作してくださいました。共に英語で考える・書くための場づくりでは、立石さんの経験や判断にたくさん助けられました。フランス研究の髙山さん・台湾研究の前野さんが、英語で話すことや書くことを「面白い!」とノッてくれたおかげで、英語関係の企画をチームで行うことができました。英文校閲の指針をめぐって、週末に電話でやり取りしたり、メールの文面を一緒に練ったことも思い出されます。オフィスでは多言語が飛び交うこともしばしば。マーク・ロバーツさんを交えて、定期的な英語ミーティングがありました。王欽先生とはプラグマティズムから日本のゆるキャラにいたるまで、英語でいろんなことをお話ししました。張政遠先生と前野さんの会話では、「懐かしい土の匂い」というフレーズが出てきて、フィールドを駆けながら言葉を形作る研究者の姿を垣間見ました。
 修士時代、武田将明先生から「今、若澤さんがやろうとしていることは、形になるまで10年くらいかかります。時間はかかりますが、意味のある事なので大切に育ててください」というメッセージをいただきました。その時から数えて、おおよそ10年が経ちました。ヒューム・トリオで18世紀の対話篇を読むこと、共時性から18世紀の世界を横断することは、私なりの中間総括になります。激しく鮮やかだったこの1年間について、言葉は山ほど湧いてきますが語り尽くせません。その一瞬一瞬は、未だ過去ではなく現在です。あるいはその断片が、現在のみならず「これからの私」を構成する1部、であるようにも感じます。共時性を問い、そして共時性を生きた2020年度となりました。書院という場を共にしたすべての方にお礼申し上げます。さて、来年度は一緒にどんなことをしましょうか。

2021年2月22日