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2022.04.15

第5回EAA「批評」研究会

 202239日(水)に第5EAA批評研究会がZOOMにて開催された。2021年度の最終回となる今回の研究会では、本年度の振り返りとして「批評とわたし」というテーマのもと、メンバー各々が各自の研究と批評との関連性や批評と自分自身との関わり、そして批評の関連文献を共有する座談会形式で進められた。
 まず片岡真伊氏は、本研究会への参加を通して改めて意識するようになった自身の研究分野(第二次世界大戦後に英語圏で翻訳・紹介された日本の小説の受容)と批評との繋がりについて触れた。翻訳文学の場合、文化の認知度のみならず、移植先の文化・言語圏・歴史的文脈に根ざした文学規範や理想が、読者や評者の評価基準・批評方法を少なからず規定するという。大佛次郎著『帰郷』の英訳版(1955)の書評や、イギリスの作家アンガス・ウィルソン(1913-1991)による日本文学批評の例に言及すると共に、英語圏における批評を支える言語空間への関心を共有した。

 次に高原智史氏は半年間の研究会を振り返りつつ、自分が「批評」に抱いたイメージは柄谷行人編『近代日本の批評Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(講談社文芸文庫)によるものであり、そこでは高原氏自身の研究テーマでもある「慷慨悲憤」と「煩悶」ないし言文一致のことが論じられていると話した。システムからこぼれ落ちた主体の煩悶と批評の関係、法学部から官僚を目指したが果たせず、研究に転じた自分のありようとの関係も語られた。また、思想史研究で一次資料となるものとならないもの(しないもの)の差は何なのか、いま私たちが書いているテクストは後世の批評の対象となるかといった、批評対象の選定・確立に関わる問題を提起した。

 続いて佐藤麻貴氏は、批評とは、本来的には否定や批判ではなく、より良いものを希求するための原動力であることに立ち戻らなくてはならないという、現代的な意義における批評の再定義の必要性につき指摘した。背景として、昨今の批評は、批判に偏りがちでないのかという危惧がある。批判は、実に無駄な二項対立構造の再生産に加担しているだけで、本来的な批評を再興しなくてはならない。では、本来的な批評とは何か。批評とは、自らの教養や他者の言説に対する理解の深さが試される契機である。また、批評は他者の言説に基づき、そこからヒントを得て、問いを別の道具立てで立てなおし、概念への理解を深めていくことにより、新しい知見を開いていくためのツールとして捉え直すべきであると論じた。加えて、良い批評こそが、自らの教養のみならず、教養という営みや学問的態度そのものの捉え直しへと開かれていくはずだと指摘した。

 短い休憩のあと、田村正資氏は第4回で自身が発表者として取り上げた江藤淳の『アメリカと私』、そして鷲田清一の『岐路の前にいる君たちに』、西郷信綱の『古典の影:批評と学問の切点』という3冊の書物を付き合わせる形で批評とは何かを原理的に問った。田村氏は、世界との関わりにおいて自己(の身体)に生じる波紋を冷静に見つめる営みとしての批評、あるいは、世界に対して批評的なかたちで存在する自己(の身体)というものが問題とするこれらのテクストから、「世界に対するものさしとしての自己(の身体)を浮かび上がらせる態度としての批評」を剔出した。そこから導かれるのは、批評(のひとつの類型)とは自己(の身体)をものさしとして、世界がどのような現象として私に与えられているのかを、素朴な自然発生的な読者としての視点を喪失することなく見つめることである、という考え方だと論じた。

 その後、田中有紀氏は、中国の儒者が、前の時代の音楽論に対して行った批評について取り上げた。田中氏によれば、元の馬端臨(12451322)は『文献通考』で、北宋の儒者たちは音楽を議論するも、実際に楽器を調整する職人や演奏家たちは言うことを聞かず、音楽の根本を何も変えることができなかった、と批評した。つまり、儒家の立場から、儒家の方法を批評したのである。馬端臨の批評の背景にある思想は、むしろ北宋の儒者たちと共通しており、一定の「合理性」はあるものの、「当時の価値観」でなされた「客観的」「公平」とはいえない批評である。しかしそのような批評が、一面では儒学における音楽思想の本質を捉えてしまい、その後の音楽史に大きな影響を与えることになったのだと田中氏は考えた。

 最後に郭馳洋氏は、ブックトークの形で木庭顕の新著『クリティック再建のために』(講談社、2022年)を紹介した。本書は古代ギリシャ・ローマから現代思想に至るまでのヨーロッパ思想史における「クリティック」の展開を跡付けたうえで、それを今日に賦活する方法を模索したものである。郭氏は、判断の根拠となるテクストに前提的な吟味を行うというクリティックの考証学的な性格への目配りを本書から読み取った。そこでは、対象に懐疑的否定的な態度を示す批判的思考と違って、クリティックはさらにその前提としての論拠・概念を吟味する作業であり、それが現存の政治システムと独立に行われなくてはならないとされている。

 6人の提題者による発言のあと、それぞれの発言をめぐって活発なディスカッションが展開されていた。
 昨年の9月から今年の3月まで、半年間にわたって全5回開催された本研究会は課題に真摯に取り組んできた参加者たちに恵まれ、充実した議論を重ねてきたと思われる。毎回の研究会で交わされ、蓄えられてきた言葉はまさに批評の生き生きした形態であり、それを記録することは未来の批評を迎え入れるためのトポスの形成につながると信じている。

 

報告者:片岡 真伊(EAA特任研究員)
    高原 智史(EAAリサーチアシスタント)
    佐藤 麻貴(EAA特任准教授)
    田村 正資(EAA特任研究員)
    田中 有紀(東洋文化研究所)
    郭 馳洋(EAA特任研究員)