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2024.02.02

【報告】EAAトークシリーズ「アートを通じて空気をする」 第5回「「ナチュラルな空気」が失われるとき」

2024年1月18日(木)、東京大学八重洲アカデミックコモンズにて、EAAトークシリーズ「アートを通じて空気をする」の第5回「「ナチュラルな空気」が失われるとき」が開催された。同セッションでは、アーティストの永田康祐氏と文化人類学者の藤田周氏にご登壇頂いた。

永田氏は、自然と文化、身体と環境などといった近代的思考を支える二項対立の実態に着目し、食を扱ったビデオエッセイやコース料理形式のパフォーマンスを展開されている。藤田氏は、ペルーの現代料理レストラン・セントラルを主なフィールドにしながら、料理、芸術、美味しさの感覚などについて民族誌的研究を進められている。

本セッションでは、まず永田氏にコース料理形式のパフォーマンスについてご紹介頂くとともに、食を巡るスタディの成果、並びに制作を通じて日頃お感じになられていることをご共有頂いた。続いて、藤田氏にセントラルなどの現代料理レストランにおける創作の様相についてご発表頂き、それらを文化人類学の観点から吟味して頂いた。セッション終盤では、永田氏と藤田氏によって活発なディスカッションが展開され、本セッションのテーマである「ナチュラルな空気」への接近が試みられた。

永田氏と藤田氏のご講演やディスカッションに通底するテーマは、概して食材の使われ方、食材の理解のされ方、食材の語られ方であったと言ってほとんど差し支えないと思われる。両氏はコース料理を手掛けるアーティスト、並びに実際に厨房に立って参与観察を行うフィールドワーカーであるがゆえに、全体として料理や食材を提供する側に関する議論が多かった印象である。無論、作られた料理を食したり、食材を購入したりする側のことが全く議論の外側にあったわけではない。

例えば、永田氏によるコース料理形式の作品《Eating Body》(2021)では、手食による料理、すなわちナイフやフォークによる食材の部分的切断を伴わない料理が前菜として提供される。そこには1つの仕掛けが含まれている。思えば、日頃コース料理を食する過程において、手で直接食材を掴むような場面はあまり発生しない。せいぜい、パンやピザをちぎって口に運ぶときくらいではないだろうか。《Eating Body》の参加者は、ソースで自分の手が汚れるという身体的経験を通じて、食する人間(自分)と食材の関係がナイフ、フォーク、お箸などの使用によっていつの間にか社会文化的に規定されていることを再発見する。

本セッションにおいて提起された食(材)を巡るトピックは広範囲に及んだが、それらを体系的に理解する上で鍵となりそうな概念が大きく2つあったように思われる。

1つは、コントロールである。この点に関して、永田氏の食材スタディは私に強い印象を与えた。通常、私たちは放牧牛ブランドを目にしたとき、牛を放し飼いにして自然に生えている草を食べさせるような飼育方法を思い浮かべる。他方、人間(消費者)の好みにあった味や固さになるよう肉質を調整すべく、屠殺前に肥育期間が設けられていることはあまり知られていない。(あくまで牛舎での飼育に比べて)どちらかと言えば野生っぽい飼育方法のイメージとは裏腹に、肉質の野生性がコントロールされ、肉牛が画一的に「食品」へと転換されている。

家畜化、養殖、あるいは天然素材とは何かを問うコース料理作品《Feasting Wild》(2022)をご紹介頂く際、永田氏が旬の概念に言及されたことは特筆に値するように思われる。永田氏曰く、私たちが何気なく口にしている旬という概念の背後には、動植物のバイオリズムから人間にとって有益な性質を得ようとする考え方が暗黙のうちに横たわっている。そして、人間にとって好ましい養分や旨みが発現するタイミング、さらにはその際の個体の挙動や特性などによって、漁/猟や収穫を巡る人間の営みがかたち作られている。

衝撃的だったのは、三倍体マガキの話である。生殖機能を抑制した状態で生育されるので、産卵というバイオリズムによって身が萎んだりしないというのである。つまり、(この表現が生物学的に厳密かどうかは定かではないにせよ)三倍体マガキにはバイオリズムそのものがないため、いつでも旬な状態での出荷が可能な上、そもそも旬のことを考える必要すらない。旬の概念は、家畜の飼育、養殖、天然素材の採取等において個体を(直接的あるいは間接的に)コントロールしようとする動機を芽生えさせる一方、それが同時に人間の食料生産プロセスを構成し、時としてコントロールする要因にもなっている。

現代料理の現場においては、料理を巡るコンセプトそのものが料理人たちにある種の制約を課し、その範囲内において食材の選択や管理等がなされている。些か極端な例なのかもしれないが、藤田氏が引き合いに出された北欧料理レストラン・ノーマの素材選択もまた興味深い。藤田氏によれば、ノーマでは北欧で採れない食材を使用しないことになっている。そのため、レモンではなく昆虫のアリ(!)に酸味が求められる。

食材を巡るコントロールの作用は色々なところに発現する。しかしながら、そのことは「コントロールされている=人工」「コントロールされていない=自然(あるいはナチュラル)」という単純図式によって食材選択や流通が認識上支配されることを必ずしも意味しない。この点は、本セッションを体系的に理解する上で鍵となりそうなもう1つの概念と関係している。それは、ロジックやストーリーである。

永田氏による食材スタディによれば、人工と自然に限らず、文化と野生、オリジナルではないものとオリジナルなものといった様々な二分法的食材理解は、時として生産者や流通業者等の売り方に内在するロジックを反映している。例えば、生産者等によって肥育牛の脂の甘さが強調されようとしたとき、それは「肉本来の脂の旨さ」といったロジックやストーリーとともに流通する。それは、(あくまでも仮想的な)比較対象として、あたかも肉本来の脂身を持たない(人工的な飼育による)肉牛の存在があるかのような錯覚を引き起こす。

そして、このような二分法的ロジックは、往々にしてグローバルとローカルという対立軸をより強固なものにする。藤田氏は、その様相を現代料理レストラン・セントラルの厨房において目撃している。セントラルの料理人たちは、他の料理や食材などと比べていかにローカルであるか(あるいはペルーらしいか)といった自問自答を続けることによって、日々自分たちが開発する料理をローカルなものとして価値化しようとしている。藤田氏は、彼らの頭の中にある「グローバル vs ローカル」の評価軸はあくまでも相対的なものに過ぎず、彼らの創作活動はむしろ自らが定義したローカルなものに対して実態を与えようとする作業であると指摘する。

このようにして食材が管理され、生産され、組み合わされたりするような食という現象を、永田氏と藤田氏はネットワークの集合的な形態と定義している。本セッションでは、とりわけ食材の生産および流通の過程で形成されるネットワークについて議論がなされたように思う。他方、生産者や流通業者等の売り方に内在するロジックは、消費者の(潜在的なものも含む)要求に対する応答であるはずだ。そうであるならば、消費者の食材選択は何に基づいているのであろうか?それらのうち、味(覚)は強力な要因の1つではないだろうか?

時間的制約ゆえに、永田氏と藤田氏があえて味(覚)の話題を持ち出さなかったことは重々承知していた。それでも、このトークシリーズ全体の趣旨に関連して両氏にどうしても伺ってみたいことがあったので、思い切ってセッション終了間際に質問をさせて頂いた。

空気に味はあるのか?

両氏のお答えは、ある。料理のプロがそうおっしゃるのだから間違いないと思われるのだが、それでも私は今後の議論のためにあえて空気に味はないという仮説を持っている。

例えば、ワインをデキャンタージュして空気に触れさせると味がまろやかになる、あるいは味噌作りにおいて味噌の中に空気が入らないようにしなければならない云々といったように、食において空気は重要な要素として介在している。しかし、それらは空気に味が「ある」といった類の話ではない。そうではなく、空気が何かと何かの媒体として作用し、何らかの反応が起こり、結果として何らかのかたちで味に影響を与えるということではないか。この媒体としての空気という考え方は、「アートを通じて空気をする」に通底する重要な論点の1つになっている。

確かに、「美味しい空気」という表現があるのは事実である。そして、「美味しい空気」と検索すると、真っ先にダイキンさんのウェブサイトに辿り着く。しかし、ここで言われる「美味しい」こそ、「ナチュラル」同様にロジックそのものなのではないだろうか。

とは言え、(白状すると)あまり料理が得意ではなく、作り手として食材の素材感に十分向き合えていない私にとって、料理における空気の素材感(文化人類学の言い方をすれば、エージェンシー)のようなものを理解することは正直難しい。永田氏と藤田氏は、おそらくこれを肌感覚でわかっている。だから、空気に味がないなどという私の些細な仮説は、やがて永田氏と藤田氏によってあっさりと否定されるに違いない。

コロナ禍以降、私自身外食をする機会がめっきりと減ってしまった。永田氏と藤田氏のお話を伺っていたら、何だか美味しいものを食べに出かけたくなってきた。

何を食べに行こうか。

やっぱり、「新鮮な」野菜や魚、そして「ナチュラルな」ものが食べたいと思ってしまうのは私だけであろうか。

毎度のことであるが、18号館共通技術室の木村嘉陽氏と青山恵氏には、八重洲アカデミックコモンズに持っていくべきオンライン配信用の備品一式を取り揃えて頂いた。EAAユース生の豊嶋駿介氏には、お一人でオンライン配信担当の大役を果たして頂いた。本セッションにご協力頂いたEAAスタッフは勿論のこと、皆様のご協力に記して御礼申し上げる。

報告:野澤俊太郎(EAA特任准教授)
写真:横山雄大(EAAリサーチ・アシスタント)