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2021.02.14

鵬程万里:RA任期を終えて 01 高原智史さん

高原智史

 東京大学教養学部の前身・第一高等学校で発行されていた『校友会雑誌』を繙きながら、近代日本思想史、特に明治期の煩悶青年について考える修士論文を執筆して博士課程へ進学しようとしていた2019年3月、発足間もないEAAから、「101号館の歴史」プロジェクトにRAとして関わらないかとお声掛けをいただいた。現在、駒場に101号館としてある建物は、一高時代には、中国人留学生のための課程である特設高等科用の建物であり、特高館とも呼ばれていた。そこにオフィスを構えたEAAは、一高時代の101号館について掘り起こしをするらしい。一高の中国人留学生というのは、自分の研究関心ど真ん中ではないものの(その実、この時点ではほとんど何も知らなかった)、一高ということでは重なるし、「101号館の歴史」プロジェクト以外にも、広がりをもって色々とやらせてもらえそうであったので、応募することにした。
 RAに採用していただき、EAAのRAとして活動させてもらったことは、事前に感じていた「広がり」をはるかに上回るものだった。その中には、自分一人でいただけでは、決してやらなかったであろうことが含まれる。「本業」の「101号館の歴史」に関しては、駒場博物館の所蔵資料をよく調べに行くことになった。修士論文執筆に当たって、研究対象の『校友会雑誌』が、PDFデータ化されていてアクセスが容易だったため、それに頼り切りになり、駒場博物館所蔵の一高資料へのアクセスの必要は感じていながら、手が出せていなかった。RAとして「101号館の歴史」プロジェクトに携わることで、自身の一高研究についても、より立体感を持たせられるようになったと思う。
 さらには新出の「藤木文書」の資料整理の経験を持つこともできた。「藤木文書」とは、一高、東大教養学部に勤務された藤木邦彦氏がお持ちであったとみられる文書群で、一高時代の資料を多く含む。文書整理という点では素人ながら、保存用の中性紙の箱や封筒を用意するところから始めて、仮の文書リストを作成した。戦時中の資料も多くあり、紙質の悪い資料を多く取り扱う中で、現代の紙にコピーされた『校友会雑誌』を読み込むのに比べて、歴史研究をしている「感じ」が強くしたのを覚えている。
 2019年夏の北京行や、現在なお進行中である「一高中国人留学生と101号館の歴史展」の話もしたいけれども、EAAのRAとしてやったことの挙示はこの辺で止めておいて、少し抽象的な話をさせていただきたい。EAAは正式名を東アジア藝文書院という。ここでは「書院」ということにフォーカスして進めていきたい。「書院」とは何かを問い始めれば、中国、東アジア思想上の大きな問題となってしまうだろうが、さしあたり、それは、人の集まりであり、また具体的な場所でもあろう。EAAは、101号館という具体的な場所にオフィスやセミナールームを構える組織であり、またそこに集う様々な人々の組織である。場所性と人的組織というのは、おそらくどちらもが重要である。一高時代のことを言えば、一高生はよく「校風」ということを論じた。校舎などの建物がそれ自体として重要なわけではなく、そこで培われる、人々の間での感化力が重要なのであって、しかも、学校にいる間だけでなく、将来にわたって感化されていることが重要である、というような。しかし、そのように言う一高生にとっても、一高という具体的な場がなお重要であった。一高が駒場に移転してくる前、本郷の帝国大学の隣、向ヶ丘にあった頃、それにちなんで一高は、「向陵」と誇り高く呼ばれた。そうして、その向陵に籠城して、身を固めるべしとの「籠城主義」も唱えられていた。向陵という場所へのこだわりも強かったのである。結局、場所性と人的つながりというのは、相互に他方の基礎となるということなのだろう。具体的な場所に集うことで人的つながりができ、そうした人的つながりが、物理的な場所に、場所性を付与するというように。
 そのように考えると、EAAは色々な意味で、場所性と人的なつながりの重要さを考えさせてくれる場であった。人的なつながりということから言えば、EAAに関わることで、普段、自分の研究室にいるだけでは関わりがなかったような人たちともつながりができ、それは、EAA内、さらには学内だけにとどまらず、種々のプロジェクトを通して学外、国外にも及んだ。場所性としては、そもそも自分が一高を研究対象にしたのは、駒場の大学院に進学したことから、自分の足元のところの研究をしようという趣旨であったが、そうした場所性、あるいは現物性とでもいったことを、駒場博物館の資料や「藤木文書」に触れていくことで深めることができた。
 2020年初頭からのコロナ禍で、具体的な場所に集まることが困難となる中、他方、オンラインで人や物に触れることが一躍容易になる中で、場所の意義については、いっそう考えさせられる状況となっている。人々の集まり方や関係性は、今次、よりいっそうのヴァーチャル化が進むことは避けられないだろう。そのような中で、EAAが「書院」として、人々の集まりの場としてよくあり続け、さらには、新しく、よりよい形での、集いの形を提言できるような組織であることを願って、擱筆したい。

写真撮影:高山花子(EAA特任助教)