ブログ
2021.02.15

鵬程万里:RA任期を終えて 02 胡藤さん

People

胡 藤

「北の果ての海に大きな魚がいて、これを鯤と言う。その魚が変身すると、鵬という鳥になる。鵬も体が大きく、飛び立つとき、その翼は空を覆うほどだ。この鳥は海の変化に従って南の果ての海、天池に移る。」
――『荘子』内篇・逍遙遊篇

 石井先生から「鵬程万里」というエッセイタイトルをいただいた時、頭に浮かび上がったのはこの『荘子』の冒頭の文言だった。鵬という鳥は一体どのようなものだろう。鯤とは魚卵のことを指し、ごく微小なものなのに、ここでは大きい魚の名前として使われている。それにしても鵬という巨大な鳥になって天がけるとは、なんと奇妙なことだろう。また、「海が変化する」時とはいったいどういう状況なのか、『荘子』にははっきり記されていないし、歴代の注釈者の間にも定説がないようだ。季節風が吹き、大きな嵐が現れた可能性もあるだろう。地殻の変動で滄海が変じて桑田になった可能性もあるだろう。とりあえず楽な変化ではなさそうだ。それでは、天池も楽に生きることができる場所なのだろうか。
 中学生のとき『荘子』に出会ってすぐこの物語に魅了され、一時期は自分のネットでのニックネームを「海運」(海の変化)にしたことさえある。『荘子』のこの文を借りて「海の運(うご)くとき将に東瀛に徙(うつ)らんとす」といった希望を持って日本に留学に来たとも言える。ところが留学にあたっての一番の困難は、大きく予想を超えたものだった。それは言語でもなく、人間関係でもなく、学問のかたちという問題だった。中国において「中国哲学・中国思想」とはあまりにも自明なもので、これを研究することに意味があり、必要でもあるということは誰もが認めている。しかし日本来てからは事情が変わった。「中国人が日本にきて中国のことを研究するって、意味あるの?」と聞かれて呆然とした経験も少なくない。中国人という身分、日本という場所、そして中国思想という学問の分野の三者が共存することは不可能なのか。EAAの先生と学生の皆さんとはじめて出会ったのはちょうどこの問題について一番悩んでいた時期だった。そしてこの2年間を経て、EAAの「個人の知性を養うための人文学」の理念を受け入れ、今の私はこう確信している。

 私は古代の中国に何か理想的なものが存在すると思ってこの道を選んだわけではない。ただ『荘子』をはじめ、数多くの古代の思想家たちの作品との出会いに「面白さ」を感じて、この面白さを他の人に共有したい、これだけに過ぎないのだ。

 同時にこの2年間はEAAの(広義の)哲学者たちが世界を変えようとする行動を目にし、かつ自らも微力ながらそれに貢献しようとした2年間でもあった。私は自分のことを理想主義者ではなく現実主義者だと自認している。ただ現実主義のかたちに関しては、誤った認識を持っていたかもしれない。政治・権力に機敏に対応することはリアリズムとは言えない。むしろ我々の生活を、人文学、つまり人間そのものに対する理解に根ざしたものにしてこそ、政治的な結果を自ずから導き出すことができる。世界を根本的に変えられる力はまさに人文学にあると改めて確認した。
 『荘子』の注釈者として有名な郭慶藩は冒頭の文章について少し異なる解釈をしている。すなわち、鵬の動きは北の果ての海に留まることはできない。必ず飛び出して天池に行かなければならない。離れることも大事なのだ。そしてこれからも海は依然として変化し続けるだろう。彼はこのような解釈を行っている。千里の道を飛んで天池へ向かう鵬は、3ヶ月かけて糧を集めて出発すると『荘子』にある。この2年間に何を得たのか、これから常に自分を叱咤しつつ進んでいきたいと思う。

写真撮影:高山花子(EAA特任助教)