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2022.03.07

鵬程万里:RA任期を終えて 09 日隈脩一郎さん

 あまり時間への感性(というよりも、感性全般)が鋭敏ではないので、過ぎ去りゆく早さであるとか、まるで沈滞でもしているかのような鈍い遅さであるとかが実感されることはない。

 コロナ禍とともに幕を開けた博士課程1年目は、どうにも倦んでいた。何かがしたいと思っていた。手当たり次第に物色した。そんな矢先、2020年10月にツイッター上で見つけたのが、「101号館映像プロジェクト」と後に呼ばれ、映画『籠城』に結実する企画へのRA募集の案内だった。

 大学に入学して、ある友人――彼はいまフランスで研究だか飲酒だかをしている――の影響で都内の名画座やミニシアターに足繁く通うようになった私は、映画への臆見を解きほぐしていった。大学院でその研究をしようとまで思い募った、映画への憧れは、けれども一旦は自分のなかで後景化してゆくことになる。

 好機は突然訪れるものである。迷わず応募した。映画への憧れは、実は駒場、駒場的なるものへの憧れでもあった。(今でもそうだが)平凡な高校生だった私は、文学や芸術など一顧だにしなかった。気の利いた暇潰しの手段ていどに思い、人間にはもっとやるべきことがあると考えていた。

 それが駒場に来て一変する。詳細を記すと本稿の趣旨と離れてゆくからおくとして、とまれ駒場は、玩具箱のような場所であり、活力源だった。自分の専門が何なのかさえ、わからず震えていた私にとって、だから駒場に来ることはほとんど必要ですらあったのだと思う。震えは駒場という遊び場で駆け回る動力に転化した。2021年夏には、「藤木文書アーカイヴ」のRAも兼任し、ますます遊びの幅が広がった。地下に潜ったり、貴重な生の史料に触れたり、学部1年時の語学の先生に研究会でお会いしたりと、2度目の前期教養学部を体験したようだった。

 しかし、無軌道に遊んでばかりもいられない。関わる人が増えれば増えるほど、遊びはルールに準じたものになる。そのルールをしばしば反故にしてしまった。足掛け3年、多くの人にご迷惑をおかけし、年甲斐もなく色々な人に叱られた。いや、叱っていただいた。叱られるまでが、遊びだったのかもしれない。

 ところで、駒場時代の二十歳そこらの私に哲学の火をつけた先生に、RAとして駒場で再会したことも特筆すべきエピソードとして思い出される。先生いわく「駒場は普通、ずっといるところじゃない、通り過ぎるところだ」と。あたうかぎり遊んだと思う。そろそろ家に帰らなければならない。あるいは、家を出なくてはいけないだろうか。

 

 

写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)