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2022.03.08

【報告】リベラルアーツとしての映画制作とは?-東京大学東アジア藝文書院『籠城』制作チームトーク〜QWSアカデミア(東京大学)

去る2月27日(日)に渋谷QWSにて開催された「リベラルアーツとしての映画制作とは?東京大学東アジア藝文書院『籠城』制作チームトーク〜QWSアカデミア(東京大学)」の報告文を、登壇者でもあった主要制作メンバー、EAAリサーチ・アシスタント3名よりお送りいたします。イベント開催にあたり並々ならぬご尽力をいただいた皆さんに厚くお礼を申し上げます。

 

小手川将(監督)

2022年2月27日(日)、わたしたちは作品の公開に先立って、映画『籠城』がいかにつくられたのか、その制作プロセスを語る機会に恵まれた。渋谷駅直結の、ガラス張りの高層ビルに所在するSHIBUYA QWSという施設でのことで、いよいよ公に『籠城』について知っていただける段階に入ったのかという緊張感もあったが、それよりも喜びの気持ちが強かった。映画を共につくりあげてきた人々と本イベントの準備のために制作プロセスを振り返っては吟味して、声の出演者たちは画面内に顔は見えないけどそれぞれ個性が際立っていて、これは「声の映画」だったよね、などとオンライン上で話し合ったことの幸福が、いまも心中に残っている。こんなふうに、クレジットされている役職に縛られず、積極的かつ継続的に、出演者および制作スタッフが作品について自由に、ときに厳しく言葉を交わし合ってきたことが、本作品の制作プロセスの重要な点であり、それをイベントで伝えられたとしたらとても嬉しい。

 思えば、制作を通じて、さまざまな人々に出会うことができた。わたしの個人的なイメージを共有しながら、多くの言葉をもらって、応答し、作品の構想がどんどん変化していった。そのつど正確な結論を出してきたという自信はまったくないが、コロナ禍下でオンラインを活用して言葉の応酬を続けてきたことを省みると、今回、全員ではないにしても制作チームが会場に集まって、直接、肉声を交わす場を共有できたというのも感慨深いものがある。

 しかし、こんなふうにセンチメンタルに振り返ってばかりいても仕方ない。まだ作品は公開されていない。リベラルアーツとしての映画制作という行為そのものに意義があるのは確かだが、結果が伴わなければ、その制作プロセスは絵空事を描き続けてきた空転として無視されてしまうだろう。作品を世の中へと示して評価を受けていくのはこれからの話である。『籠城』を終わらせないために、動き続けなければならない。

 最後に、どのような人々が『籠城』という作品に参加していたのかを広く知らしめる本イベントで、十分に触れることができなかったが、一人、この制作プロセスにとってかけがえのない役割を果たしている方について触れたい。モデレーターを務めていた、プロデューサーの髙山花子さんである。制作プロセスの全体を常に支えてくれたというだけではない。芸術についての、創造することへの深い理解と洞察を持ったプロデューサーだった。たとえば、二人の男性の声で物語を紡いでいくという構想が男女混声のポリフォニーに変わったのは、彼女の直観的なアイディアを受けてのことだった。『籠城』は髙山さんなしには決して実現しなかった映画であることはいくら強調してもし足りない。

 多くのエッセンスが凝縮された議論のすべてを的確にまとめ、整理された言葉で会場に伝えていた髙山さんの凄まじさに、どれほどの方が気づいてくださっただろうか。そのことをイベント内でわたしがはっきりと伝えられなかったのが悔やまれるが、この場を借りて、多大な感謝とあわせて報告させていただきたい。

 

 

高原智史(原案・共同脚本・声の出演)

本作では原案・共同脚本と、声の出演を務めた高原は、第1セッションから第3セッションにかけて登壇した。第4セッションまで、すべてのセッションに登壇した小手川氏に次いで多くのセッションに登壇したことかと思う。制作チームと出演者を兼ねたゆえのことである。

制作チームが登壇した第1セッションでは、「旧制一高をいかに研究してきたか」と題してお話しをした。官僚になることを志して東京大学に入学したこと、しかし志望が叶わず大学院へ進んだこと、そうして一高に研究関心を向けていったことと、そのいきさつについて書いた「独白録」が本作の原案となっていること。「独白録」では、必ずしも前面にあらわれていなかった「記録する」というテーマが、小手川氏との共同作業を通じて紡ぎ出されたこと。自分自身も大学時代、流行り始めていたSNSに文章を書き綴っていたこと。一高生の書くことということと、アイデンティティとの関わり、その複層性について。

すべてのセッションが終了した後での質疑応答において出された質問の中で、EAA東アジア教養プログラム修了第1期生である孔徳湧氏から、一高生のアイデンティティのありようについて、質問をいただいた。

アイデンティティのありようは閉じてはいけないのではないかという孔氏の質問の趣旨に対して賛同しつつ、一高生が一高生らしくしようとして(ひとまず、エリートであろうとして)、「我々はエリートである」という志向と、「エリートは我々である」という志向がありうるとしたうえで、両者の違いについて論じた。前者は、すでにあるエリートという枠に自らを当てはめていこうとする点で受動的なこと。後者は、みずからがエリートの範型たらんとする点で積極的なこと。高原自身はかつて前者の姿勢でいたのが、一高生を研究するうちに、後者へと転じようとすることになった。一高生が物を書く態度は、自らの記述が歴史に残ると強く意識しているか、もはや意識もしないまでに当然とされているということで、このアイデンティティの志向のあり方と、書くということはつながっているとした。

「エリートは」「我々は」の二つの定式については、高原と小手川氏との間で何度も話題に上がったが、必ずしも意見の一致は見なかったことを話した。またそこから、個人の欲望を社会的な規範とすり替えてしまう男性の弱さという本作のテーマの一つにもつながったことが言われた。

実は、このことは、話が振られれば話しておきたいと、セッションの間に思っていたことである。孔氏が話につながるような質問を投げかけてくれたことは、おそらく、こちらの話したいことと、あちらの聞きたいことが、重なったということで、イベントの中での伝達がうまくいったことの証なのだと思う。

そうして、まずは3月末の、おそらくは桜も咲き出しているであろう駒場キャンパスにお運びいただき、今度はいよいよ、映画『籠城』をご鑑賞いただきたい。

 

日隈脩一郎(記録)

 映画は言うまでもなく、完結した、一つの作品である。とはいえ、必ずしもこの作品にはならなかった可能性、別の作品たり得た可能性を考えることができる。記録としてその制作過程に目を向けたときに、そこには多くの(往々にして制御不能な)要素が介在する、思えば当たり前の、しかし新鮮な事実に目を見開かせられることが多かった。いかにミニマルな映画でも、そこにはカメラマンがおり、被写体(それは当然人間でなくともよいが)が必要だ。

 本作『籠城』では、声の出演者が重要な役割を果たした。イベントで上映されたワークショップの風景、声の録音風景の記憶がここで蘇る。唯一、詩業を営む永澤康太氏を除いて、声を発することを専門的な仕事としない人ばかりだった本作では、録音工程に入る前に数回のワークショップを重ねた。オーディション時に、漠然としたボイスデザインの構想はあったものの、ワークショップでは監督の指示を受けつつも各人の創意工夫が光り、そして相互に聴き入り、批評を厭わない、貴重な機会があったことは、一応は想定されていた声の用い方に重要な変更を加え、当初は誰もその完成形を予期しなかった方向へ、作品を進めることになった。その航海は、全く異なる海へ、港へ、漂泊する可能性があったわけである。

 誰に言われるでもなく、制作風景を撮影・録音していた私はある時、小手川氏に「メイキング映像の監督」を仰せつかった。このことは、自らの役割を自覚する契機であったとともに、少なからざる違和感をももたらした。今思えば、それは前述の、別の場所への漂白可能性が、「メイキング」に覆い隠されてしまうのではないかということへの危惧だったのかもしれない。メイキングはしばしば、出来上がった作品を一つの必然的帰結とみなし、その過程をも必然化してしまうのではないか。ただ撮り溜めた制作風景の記録、そして来るべき目録作業によるアーカイブ化は、そうした別の可能性、異なる風景に開かれている、そしてそれは自由と呼べるのかもしれない、と。しかもその可能性は、他でもない、『籠城』という作品、あるいは映画というジャンルそのものの境界を変容させうるかもしれない。質疑応答の場を借りて、そのようなことも述べた。

 当日は、望外の晴天に恵まれたものの、イベント中は黒いカーテンにより、せっかくの摩天楼上層階からの眺望が許されなかった。しかし実は、窓外には何も見えなかったかもしれないのである。

報告者:小手川将(EAAリサーチ・アシスタント)
    高原智史(EAAリサーチ・アシスタント)
    日隈脩一郎(EAAリサーチ・アシスタント)
写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)